佐藤康光、日本将棋連盟新会長就任を受けて

つい、佐藤モテ光、と書いてしまいそうだが、三浦九段の、冤罪事件、と言っていいだろう、この事件の余波を受けてモテ光丸は嵐の船出となった。どれほどの労力を割かなければならないのか、まさに火中の栗を拾ったという感じであり、今期の順位戦の成績が芳しくないこともあって、おそらくA級から陥落するだろう。
誰にとっても悲劇的な事件だった。一番気の毒なのは先輩の中に放り込まれてややこしい事件に関わらざるを得なかった佐藤天彦名人ではなかろうか。糸谷前竜王竜王位を防衛していれば避けられていたのかも知れない。言っても詮無いことだが。
三浦九段が不正をしていたかどうか、それは当人にしかわからない。不正をしていたとしても、客観的な証拠は挙がらないだろうし、不正をしていなかったとしても、完全な潔白を三浦九段当人でも証明は出来ない。だがそれは最初から分かっていたことである。まさしく、羽生三冠のいうとおり、どうなっても灰色にしかならない、そうである以上推定無罪という対応しかありえない。
社会人なら五秒で出来る判断である。渡辺竜王の告発は無理筋だなと。
棋士ならぬ身であれば棋士の直観は分からない。今回、告発に動いた棋士が一人二人ではなかったことから、棋士の直観としては相当なクロという心証があったのだろう。だがしょせん直観でしかない。
日本将棋連盟法治国家における法人であるから、心証などで動けるはずがない。子供でも分かる理屈だ。
それを動いてしまったのだとしたら、谷川前会長や他の理事たちの責任は非常に重い。谷川前会長は私が一番敬愛する棋士なので、こういうことになってしまって本当に残念だ。人格的には米長前々会長は谷川さんの足もとにも及ばないが、あの人ならば少なくともこういう勘所で判断を間違えることはなかったはずだ。片上大輔は常務理事をやっていて、東大法学部を出ていながら一体何を学んだんだろうか。もともと高くなかった私の中の片上株がストップ安である。
そもそも渡辺竜王は三浦九段を嫌っていたし、公言して批判もしていた。その批判の内容は若手に勉強会での成果を聞き出すのはいかがなものか、というものだったけれど(文体はもっと激しかった)、聞き出して何が悪いのだろうとしか私は思わなかった。棋士が強くなるために努力して何が悪いのだろう。やれることはやるべきだ。もちろん若手に圧力をかけたとかならば問題だけども、そもそも若手だからとちぢこまるような将棋界ではなかろう。三浦九段よりも10歳も年少の渡辺竜王がそもそもあれだけ無礼な口を叩いたのだから、若手への圧力など無いに等しい。
私は渡辺竜王の言は言いがかりでしかないと思うが、棋士の姿勢としては支持する人もいるだろう。棋士観が根本的に違っているということだ。
渡辺竜王の正義感覚から見れば最初から三浦九段は真っ黒に見えていたはずで、好き嫌いは個人の自由だとしても、相当な圧力を加えて将棋連盟を引っ張ってしまった。
このことについて渡辺竜王らの責任が不問に付されることがあってはならない、と私は思う。
単純に言って今回の件はすでに冤罪として決着している以上、三浦九段を冤罪に追い込んだ人たちと「職場で顔を合わせる」ことを日本将棋連盟が三浦九段に強要することが出来るかどうかと言う話である。
日本将棋連盟が第三者ならばともかく、今回は過失を行った当事者である。
渡辺明竜王島朗九段、久保利明九段、橋本崇載八段あたりはコンプライアンス上、除名処分にして将棋界永久追放にしなければ収まらないのではないか。彼らが残留できるとすれば、三浦九段当人から赦しを得た場合のみであろう。

2016年アメリカ大統領選挙結果考

まず大前提とするべきなのは、今年が共和党にとっては奪還年にあたるということだ。第2次大戦後、民主・共和両党は基本的には規則正しく8年交代で政権を担当してきた。この流れが乱れたのはいずれもレーガン絡みで、1980年、民主党の再選年であるにもかかわらずカーターを破って共和党が政権を得たのと、1988年、民主党の奪還年であるにもかかわらず、激しく高まったレーガン人気の影響を受けて、レーガン政権下の副大統領であったブッシュ・シニアが当選した、この2回しかない。
今日、レーガンは国父扱いされているのだが、カーター政権の異常なまでの無能さとレーガンのカリスマがあってこそ、レーガンはルーチンを乱してホワイトハウスを獲得したのであり、普通の政権と普通の対立候補ならば、奪還年には奪還すべき政党が勝つ、それはよほどのことがなければ覆らない。
つまり、今年は共和党が普通の候補を出してくれば、ヒラリー・クリントンが勝つ見込みはまず無かったのだ。今回は結果としてトランプが勝ったけれども、得票数で競り負けているように、トランプは決して強い候補ではない。
私は以前、「トランプが共和党の候補になって一番喜んでいるのはヒラリーら民主党首脳陣」とブックマークコメントで書いたが、曲がりなりにも「ヒラリー優位」の構図が作り出せたのは、相手がトランプだったからである。そうでなければ、ヒラリーに対する拒否感情の大きさを思えば、ヒラリーには万に一つの勝利の可能性もなかった。
ヒラリー敗北の印象が強いが、実際にはポテンシャルに比してかなり善戦したのである。
トランプに対しても大きな拒絶があったのは確かだから、ヒラリーが勝つ見込みはかなり高かった。少なくとも予備選挙の段階ではそう考えられた。
私がこれは潮目が変わったと思ったのは、共和党予備選挙で、有権者がかなり増えていたのを見た時だ。各候補ごとの得票比率にしか焦点があてられていないが、全体のパイが大きく膨らんでいたのだ。つまりこれはトランプが新しい支持層を開拓した、通常であれば選挙にはいかない層を掘り起こしたということであって、その人たちは当然、本選挙にも行くはずである。民主党予備選挙ではそこまでの膨らみはなかった、つまりサンダースは、従来の若年有権者を支持層としてまとめたが、票田を新規開拓したわけではない。
トランプが勝つ見込みがかなり強まったと思ったが、それでもヒラリーが逃げ切れるのではないか、そう思いたかった。
後から見れば、もしヒラリーに勝機があったとすれば、サンダースを副大統領候補にすることだった。そうすれば少なくともサンダースの支持者を取りこぼすことはなかっただろう。ケインを副大統領候補に指名した結果、ヴァージニア州を得られたのだから(南部連合の首都州である!)それだけを見ればそこは正解だったように見えるが、その結果、ラストベルト諸州を落としてしまった。
民主党の絶対地盤は西海岸、首都ワシントン、イリノイ、ニューヨーク、マサチューセッツニュージャージー、メリーランド、コネティカットデラウェアロードアイランドである。ここはそれこそレーガン級のカリスマでも出ない限り、民主党が取りこぼすことは「絶対に」考えられない。これだけで185票。後85票を積み上げればいいわけだが、通常は民主党の地盤の、コロラドニューメキシコミネソタウィスコンシンペンシルベニアニューハンプシャー、ハワイを固めれば、オハイオ、ヴァージニア、フロリダ、アリゾナのいずれかを得れば勝つ。サンダースを副大統領にしていれば、防衛しなければならなかったラストベルト諸州で勝てる見込みが出ていたし、そうなればオハイオ、ヴァージニア、ノースカロライナでも勝てていた見込みがある。
そういう意味では、ヒラリーの敗因は、ウィスコンシン、ミシガン、ペンシルベニアを落としたことだ。ヒラリーは守りの選挙をやるべきだったのを勝ちに行ったのが間違いだった。これに限らずヒラリーには絶望的なまでに、政治センスがない。この人は本質的には活動家であって、政治的な能力がとても低い。私は彼女を有能だと思ったことは一度もない。
彼女が長らく「アメリカ女性第一人者」の立場にあったため、もっとふさわしい適任者、例えばオルブライトやコンドリーザ・ライスらが、前に進めなかったのはアメリカ女性にとっては不幸なことだった。彼女は「ガラスの天井」を持ち出し、女性であるために地位を得られないかのように言うが、女性であることはある程度のスター性も保証することであって、諸外国、アジア諸国でも女性指導者は出現している。韓国やフィリピンが、アメリカよりも進歩的と言うことはあるまい。ヒラリーは女性でなければここまでは来れなかっただろう。
ヒラリーの敗北は彼女の退場を促すという意味では、この選挙戦で得られた唯一のポジティヴな結果である。

高畑裕太が犯した性犯罪について思うこと

あー、やっちゃったか、というのが周囲の正直な感想だと思う。いつかやりかねないと思ってた、と。
純粋と言えば純粋なんだろうけど、どこか善悪の判断が弱いような、善悪の基準を持っていないような、そういう危うさが彼にはあった。それを愛嬌だけで乗り切ってきた、というのが彼のすごいところなんだけども。
僕は彼には何の同情もないけども、ちょっと普通の人ではないと思う。ここでいう普通でないというのは、障害者寄りではないか、ということだ。母子家庭で育って、母がいて、姉がいて、男の子が一人で、男子として考えても普通は性犯罪には走らないと思う。他の男子がそうなるとしても、彼の立場ならそうはなりにくいと思う。
人間はしょせんは他人は他人だから、まして異性であれば、衝動があれば相手の人格が見えにくくなるということは程度としてはあり得る。でも、母がいて、姉がいて、男として家族を守らないといけない、そういう気持ちになるのが普通だろう。そうならなければならない、という話ではないよ。そうなってしまう、という話だ。女性を、人間として見ることができる、男子としてはそういう立ち位置に彼はいたはずだ。彼の立場だったら性犯罪から母を姉をどうやって守るのかというのがテーマになるはずで、自分が性犯罪を犯すなんてあり得ない。僕は母子家庭の出ではないけれど、母がいて姉がいるので、特に姉は若い時はそこそこ綺麗だったので、わが身を顧みて野獣のような男たちからどう守るかということを気にかけないことはなかった。その眼で他の女の子を見ればその女の子は誰かにとって同じようにかけがえのない娘であり、姉であり、妹であり、とても「モノ」のように扱えるはずがなかった。
母子家庭の末っ子長男ってのはこれまで何人も見てきたけれど、高畑裕太のように、その影響が全く見受けられないというのはかなり特殊な人格だと思う。
そこが危ういな ― と僕は思っていた。
そもそも高畑淳子も売れた時期が遅い。名が知られ始めたのは金八先生くらいからで、高畑裕太はたぶん中学生になるくらいまでは、母親の名前を言っても周囲は誰も知らなかったんじゃないかと思う。だから甘やかされたボンボンというのともちょっと違う、そういう境遇にはなかったはずだけど、それでいて、見事に甘やかされたボンボンにしか見えないというのも、それがいいか悪いかは別にして、相当に特殊には違いない。
そういうことを考えると。
決めつけるのもよくないけれど。
教育とかしつけでどうこうできる代物ではない。人は、子供は、様々だ。教育でどうにかできるなら、犯罪を犯す人なんて一人も出てこない。
高畑裕太という人が、育てるうえでかなり手間がかかる、相当に難しい人であっただろうことは想像できる。
親の責任がどうこう、という前に、これはきっとお母さん相当苦労したんだろうなという感想しか浮かばない。
親の責任で言えば22歳なんだから、まったくないというわけにもいかないだろう。これが30歳とか40歳ならともかく、成人してまだ2年、大学に行っていたら卒業もしていないような年齢、40歳の男が犯罪を犯したのとはわけが違う。
それでも、彼を育てるのはかなり難易度が高い仕事だったろうな、と思う。特に母親一人で。

誰だ鳥越俊太郎を擁立したのは?

私は鳥越さんを有能だと思ったことが一度もないので、鳥越さんを擁立しようと思った人が野党上層部にいると言うことの方が、2016年東京都知事鳥越俊太郎候補の数々の失態よりも問題だと思う。保守分裂もあって、宇都宮氏でまとまっていればおそらく野党は勝てた。石田純一氏ですら鳥越さんよりはマシだったと思う。
先日、何人かのニュースキャスターが集まって、その中には鳥越俊太郎氏もいたが、与党の報道局への圧力について批判をしていたが、具体的なことは提示できていない、放送行政の仕組みと放送法を理解できていない、少なくとも遵守する姿勢がない、等々で、かえって赤っ恥をかいていた。
それを言うならば少なくとも普段の姿勢で、昨年週刊文春誌上に掲載されたSMAPの元マネージャーに対する公開パワーハラスメントに対して一言でも批判しておけばいいのである。元ミスユニバースの女性タレントが、性的なサービスの提供を暗に大手芸能事務所社長から持ち掛けられた、それについてでもコメントを出せばいいのである。
国民はとっくに「じゃあなりすと」さんたちの仕事なんてしょせん「ごっこ」に過ぎないと知っている。かけらでも尊敬されるとでも本気で思っているのだろうか。
そういう部分はうやむやにして、仲間内の感覚だけで選ぶからこういう人が候補になってしまうのだ。
民主党の結党以来、私はずっと民主党に投票してきたけども、民主党/民進党の周囲にいる人たちは当然、その支持者たちばかりだ。その仲間内の、マスターベーションめいた同調におぼれてはならない。
民主党の三人の元首相のうち、鳩山氏は論外としても、野田前首相は民主党支持者には評判が悪い。民主党支持者以外ではおそらく野田前首相の評価が一番高いだろう。それがなぜなのかを考えなければいけないと思う。

立法府の長

安倍首相が自分は立法府の長だ、と発言したことについて、当然、批判が出ている。制度的には彼は行政府の長ではあっても立法府の長ではないのだから、当然ではある。
ただ、議院内閣制にあって、内閣総理大臣内閣総理大臣として行政府を掌握し、与党党首として立法府を掌握しているのは制度的な実態なので、実質的には安倍首相が立法府の長、というか立法府において一番影響力のある個人というのは間違いない。
議院内閣制というのはそういう制度なのだから。
そういう実態があるときに、名目でいや立法府の長は国会議長であり云々とくさすのはクイズ的、腐儒者的退廃に見えなくもない。三権分立云々を言うならば、議院内閣制はそもそも三権分立を徹底していないのであって、虚構的な三権分立にのっとって安倍首相の発言をやいのやいのと言うのも、知的退嬰にしか見えない。そういう人たちは国家制度というものについてきちんと考えてみたことがあるのだろうか。
日本国憲法の基本の設計思想は、国会は国権の最高機関と規定がある以上、国民公会的な議会独裁を念頭に置いている。そもそも三権分立は補助的な意味しか与えられていない。
問題は、国会が主であり、内閣が従であるべきであるのに、内閣総理大臣が国会議員の中から国会の指名によって選出される規定があるためにかえって、一人の人物が行政府と立法府の双方を支配することになり、その人物の前において国会が従になる、つまり内閣に国会が従う構造が実態として出現することだ。
こうしてみると議院内閣制における首相は、大統領制における大統領よりもはるかに強大な権限を持っていることになる。実態として存在もしておらず機能もしていない三権分立金科玉条のようにあたかもそれがあるかのように泣き叫ぶ者をインテレクチャルとはとても呼べない。

小遣い制の話

家計管理。うちの場合は、共稼ぎ、子供なし、なので、状況的には特殊かもしれない。生活費は折半、貯金、保険、投資の部分は話し合って、合意できる分については、それぞれが「支出」し、そこから更に残る分については当人の自由でやっているので、当人の自由の範囲内で何を買おうが何をしようが気にもならない。
自分が稼いできたものではないカネについて、キリキリして怒ったり不機嫌になったりすることほど醜悪なことはないと思っている。家計を完全にひとつにするということは、好むと好まざるとにかかわらずゼロサムゲームに巻き込まれることになるので、醜悪な感情に巻き込まれるリスクを負うことになる。
イラクの油田とクウェートの油田が地下でつながっていて、クウェート原油を増産すればイラクの取り分が少なくなってその不和が湾岸戦争を招いた、みたいなことになるわけだ。
自分の親であれ配偶者の親であれ、親が困窮しているならば子が援助するのは当然だ、と僕は思うが(まあ、普通の親子関係の場合はね)、それですら配偶者の反対で出来ない、という例は結構あるようだ。人の情として、切り捨てられるはずもない相手の親を含めて抱え込む覚悟がないならば、何のために結婚していているんだろうか。いや、持ち家のローンがあってとか、子供の学費がとかそれなりの理由はあるのだろうが、家族の誰かが困窮している時に、家を持ったり子供を大学に行かせる必要があるのだろうか。優先順位が狂っているように思えてならない。
うちの場合はそういうわけだから、もし離婚するとなれば財産的にはわりっとすっぱりと分けやすいのだが、これは同級生同士が結婚して(つまり同年齢)、子供など共通して支出すべき案件が少ない世帯だから出来ることかも知れない。逆に言えば家計が基本的には分かれているため、経済的な理由からはわざわざ離婚するようなトラブルも起きにくいのだが。
専業主婦は経済的には自立していないのだから、社会的にはかなり不利な立場になりやすいのだが、おそらくそれを補填するために、日本では家計の全権を主婦が掌握することが多い。日本人女性と外国人男性が結婚した時にトラブルになりやすいのがこの家計の管理権の所在であって、外国人男性は「どうして僕のお金をキミが管理するの?」と思うらしい。僕は日本人だがまったく同じことを思う。
フェミニストは、家計管理権を掌握する専業主婦、というわりあい日本独特の風習を、「面倒なことを押し付けられているだけ」という被害者意識の文脈で解しがちだが、さすがに無理がある解釈だと思う。以前、テレビで専業主婦の女性が泣きながら、「家計管理を夫が任せてくれないのです」と訴えていた時に「それはひどい」という雰囲気になっていた。妻として尊重されていない、という不平不満になるほど家計管理権は既得権益なのであり、日本の専業主婦が歪だと思う一つの理由だ。
カネを管理したいならば働けよ、と思う。この、妻が働かない問題も外国人男性と日本人女性との結婚では争点になりがちなテーマだ。
まあ、小遣い制の話も、日本的な専業主婦制度も、日本独自の歴史的な経緯からそうなっているわけで、ただ、男女共同参画社会では従来型の専業主婦モデルはロジック的には維持できないのだから、まずもって女性の側が意識を変えるべき問題だと思う。

虐待と躾の間に

ヴァイオリニストの高嶋ちさ子氏が、躾として子供の携帯ゲーム機を破壊した件について、そしてそのことをむしろ誇示して新聞に寄稿した件について、それは虐待だろうという意見が多いが、そこまで言い切れるものか、ちょっとどうかなと思う。
私自身の事で言えば子供や女性を殴ったこともないし(自分自身が子供であった時の子供同士の喧嘩は別である)、他人のものを破壊したこともない。母親からは叩かれた経験は何度もあるが、そこだけを抜き出して虐待と言われればそれは違うだろうと思う。父親からは殴られたことはない。
私はきちんきちんとした人間ではなく、まして子供の頃は末っ子で甘やかされていて、だらしなかったので、片付けなさいと言われて片づけない、もう寝なさいと言われて寝ない、遊ぶのを止めなさいと言われて止めない、等々の聞き分けのなさは存分に発揮してきたのだが、だからと言って私の大事なおもちゃを親が破壊したり捨てたりしたことは無かったと思う。
もしそれをされていれば、ショックだったのは間違いない。それをされていたとしても、自分がいけなかった、次からはちゃんと親の言うことを聞こう、と思ったかどうか、たぶん思わなかったのではないだろうか。ただ、それをされていたとしても親は親であるし、一生引きずるようなトラウマになっていたかといえばそうとも言えないとも思う。
殴るのはさすがにどうかと思うが、子供がききわけがないならばおもちゃを捨てるくらいのことはする親はむかしは普通にいた。
私が高嶋氏の言動を見ていて思うのは、法三章みたいな思考態度だな、ということだ。世界観が単純だということだ。それはおそらく彼女の、ある種の清々しさとなって、魅力の一部になっている。だが子供と付き合ってつくづく思うのは、子は思う通りにはいかない、ということだ。理屈とか価値観とか、自分としては譲れない部分であっても、譲らないことにはどうにもならないことが多々出てくる。そのある種の諦めを知るということが、成長というのだと今は思うのだが、高嶋氏のかたくななこと。よほど子供の出来がいいのだろう。
高嶋氏の子供は生まれた時から高嶋氏の子供なので、高嶋氏の子供のプロであろう。こうすればこうなるということは重々分かっていたに違いない。
それでも禁を破って、ゲームを途中で止められなかったのだ。
よく分かる。
私も徹夜でドラクエをしたクチなのだから。
自分自身の弱さを思えば、そうそう強くは出られないだろうと思うのだが、高嶋氏にはその弱さを経験した、経験値が少ないのかも知れない。
私が小学生の時にファミコンが発売されて、世の中にこれほど面白いものがあるのかと、まさしく震撼した。
しかしおそらくその頃、高嶋氏は高校生くらいだったはずだ。
子供としてゲームに触れることもなく、子の親としてゲームに関与することもなく、言ってみれば1968年生まれ前後が日本で一番家庭用ゲーム機に縁遠い世代であったのかも知れない。
ずいぶん長い間、ゲームに触れなかったはずだ。
彼女からすればゲームとは、もやもやとした、何か危険なもの、であるのだろう。
高嶋氏が親として「きつい人」であるのは確かだが、それをそのまま虐待とみるのは少し違うような気がする。これは想像力と、もっとテクニカルな問題だ。
子供にペナルティを与えるにしても、「段階を踏んで」行う、例えば今日ゲームを決められた時間内で終えられなかったら、明日はやらせないとか、こう、もう少し穏やかなやりようがあるはずなのだが、彼女の苛烈な世界観は、その穏やかなやりようを「賛同はしなくても学ぶ」ということを怠らせてきたのだろう。
今回のバッシングは、少し行き過ぎと言うか、解釈が違うような気もするが、彼女がもう少し妥協することを学んだならば、この騒動も結果的には、彼女のためにも、彼女の出来のいい子供たちのためにも、プラスになるだろう。