大好物大河ドラマ「太平記」再放送決定

BSプレミアムで、大河ドラマの再放送枠があるが、2019年度は「葵~徳川三代」だった。2020年度は「太平記」と言う。

NHK1984年から近現代物と称し、「山河燃ゆ」「春の波涛」「いのち」と近現代大河を放送した。今から見れば、それぞれにかなり完成度が高い作品で、「山河燃ゆ」は「白い巨塔」「沈まぬ太陽」等で知られる山崎豊子が書いた渾身の問題作「二つの祖国」を原作とし、第二次世界大戦アメリ日系人が直面した苦悩と困難を真正面から描いている。「いのち」は橋田寿賀子のオリジナル脚本だが、「おしん」の知名度もあり、海外でも販売されて人気作となった。

それなり成果を残した試みではあったが、「大河=時代劇」と言う一般視聴者からの感覚からはずれていた面もあった。この3年間、NHKもそうした視聴者に配慮して、水曜日に歴史時代ドラマ枠として「水曜時代劇」の枠を設けていて、「真田太平記」のような傑作ドラマも産まれていたのだが、「いのち」の後の「独眼竜政宗」からは、大河も時代劇の本流に戻ることになった。

非常に評価が高い「独眼竜政宗」であり、実際、出来がいいと私も思うが、あそこまで視聴率が良かったのは3年ぶりの時代劇大河と言うことで視聴者から好意的に受け入れられた面もあると思う。

以後、5年間、「武田信玄」「春日局」「翔ぶが如く」、そして「太平記」と続き、そのいずれもが大河を代表する人気と品質を誇った。私はこの5年間を大河ドラマの黄金期と考える。

いわば、「大河ドラマ五賢帝時代」の最後、マルクス・アウレリウスに擬せられるのが「太平記」であって、特に「太平記」は現在視聴可能な大河ドラマの中では、個人的には最高傑作だと思う。

残念ながら次の「信長~King of ZIPANGU」からは、その後に続く大河の凋落、ポピュリズムの影が濃厚になっていった。

 

「信長~King of ZIPANGU」の駄作化の最大の理由は役者の技量の低さである。「トレンディ大河」と揶揄されるほど、当時民放で人気だったトレンディドラマの常連の役者を揃えたのはいいのだが、こなせるだけの技量が役者たちにはなかった。

2002年に放送された「利家とまつ~加賀百万石物語」も、研音がキャスティングの手綱を握り、同様に「トレンディ大河」と化したのだが、こちらは良い意味で役者たちが化けた。役者たちの技量はかなりの高度なもので、あの作品の問題点はあくまで安易な手法に頼る脚本の問題である。

 

実は、このキャスティングのトレンディ化の嚆矢は「太平記」なのであって、真田広之も民放のドラマでの人気者、脇を固める女優は当時若手の三大人気者、沢口靖子後藤久美子宮沢りえだった。

真田広之は子役時代から培った経験があるから、若手ではあっても演技者としてはヴェテランだったから見ていて安心感があったが、三美女は、まだまだ拙い面があったがそれぞれの個性に合わせた配役であり、短所を最小化し、長所が最大化されていた。沢口靖子のどこか浮世離れした「お嬢様」っぽさはいかにも正室らしかったし、後藤久美子の潔癖さは北畠顕家の清廉な軍事的天才ぶりを印象付けた。宮沢りえのハーフと言うマージナルな特性は、白拍子と言う枠外たる存在にあっていた。

最初、キャスティングの発表後に私が一番懸念したのは、足利直義役の高嶋政伸だったが、彼の大仰な演技はむしろ時代劇にあっていた。足利直義は、後半のキーマンになる役どころであり、キャスティングの時点では役の重さに対して、役者が軽すぎる印象があった。正直、「え?なんで?」と言う感じがあったが、高嶋政伸はよくこなした、そしてこれを乗り越えたことで一皮むけたと思う。

 

太平記」の中盤に向けての見どころは、何といっても鎌倉幕府の滅亡を描く「鎌倉炎上」である。鎌倉方の人たちはいずれも演技達者な人たちを揃えているのだが、良い人もいれば悪い人もいるのだが、いずれも幕府滅亡と言う歴史の大渦に呑み込まれてゆく。日本史上最大の滅亡のスペクタルであり、私はこの作品の放送後、鎌倉時代に耽溺するカマクラーの一人になった。

小町を脇にそれて祇園山の尾根につらなる高時腹切りやぐらにも何度か参っている。あそこは、雪でも降れば閉じ込められるだろうと言うような信じがたいほどの急斜面の住宅地を抜けて、わずかに棚田のような野原に着くのだが、そこが北条一門族滅の地となった東勝寺跡である。何もない。向かいには、鎌倉市内の違法駐車回収自転車の置き場がある。

そういう「聖地巡礼」をしたくなるような作品なのである。