峠の日

先程、投票を済ませてきた。支持政党を表明するくらいは、公選法上問題ないようなので言っておくと、小選挙区比例区、共に民主党に投票した。
4年前の郵政選挙の時に、自由民主党の圧勝を見て、バランスをとるために民主党有権者はもっと投票すべきだったと言っていた人が随分いたが、その人たちは今回はバランスをとるために自民党に投票するのだろうか。


鳩山由紀夫代表(というよりも、次期首相と呼ぶべきか)の東アジア共同体について、アメリカから懸念の声が随分姦しいようである。心配するな、と言えるのはつまるところ民主党の首脳は木曜クラブの系譜に位置する政治家たちであって、竹下政権や橋本政権、小渕政権が日米関係においては大過なかったのであればその程度の「親米」はあるだろうと推測するのが普通だからである。
そもそも小沢一郎湾岸戦争の時の自民党幹事長であり、アメリカへの傾倒ぶりは度が過ぎていると批判されたものだった。
外交政策においても、野党は与党とは違った独自色を打ち出したがるものであり、民主党がやや反米傾向があるにせよ、スローガン以上の意味があるとは考えにくい。政権をとれば、「日本政府」として判断するものである。
とは言え、アメリカの反応が過剰気味なのは、経済危機の現状と、日本のやはりいまだ大きなプレゼンスゆえだろう。反米的な主張など、アメリカも大概、慣れてもいいほどあちらこちらで聞かれるものだが日本に対してのみ過剰反応をなすのは、日本がその気になればアメリカの息の根を止めることが出来るからだ。無論、日本も無事では済まないが。
しかしそういう国に対して、アメリカの昨今の外交政策は充分に礼を尽くしているとは言い難いし、損得勘定もまともに出来ているとも思えない。
麻生首相の「自由と繁栄の弧」はこの地域のグランドデザインとなるべき構想であるが、その前身とも言えるIAEA構想をアメリカは潰し、アジア経済危機に際し、充分なサポートを惜しんだ。それが結果として、東南アジア諸国における失望感情を形成し、タイを中国側へ押しやる一因となった。そしてそれに対して目立った制裁をアメリカは課していない。これは非常にまずいやり方である。
アメリカの外交政策の致命的な欠点は、国内政治の延長でそれをしようとする傾向にある。
それが日本の生存にとっても、いちじるしい不利益となっている。
自由と繁栄の弧」の中心となるべきアメリカにその意欲と気概と知性が欠落しているならば、日本も別の道を採らざるを得ない。
公然の秘密であるが、日本は藩基文国連事務総長の就任に反対した。これ自体は瑣末なことであるが、この程度のことさえも、日本の利益を無視するアメリカに対して危機感を抱かせることは長期的な友好のためにはむしろ求められることである。
その程度の自主性を持つことが反米であるならば、日本は反米になるだろうし、ならざるを得ない。オバマ大統領が政権当初に発した対日メッセージが商業捕鯨自粛要請であったことは、自国が置かれた状況も、相手の位置も理解できていない阿呆というしかない所業であったが、アメリカはしばしば阿呆をする国なのである。
その阿呆がかさめば、今はスローガン以上の意味を持たない対中接近も将来的には現実の外交課題として浮上するだろう。書正論を止めるべきなのはアメリカであって、日本の民主党ではない。
アメリカのプレゼンスの低下は悪意ではなく現実である。


DAYS JAPAN と言えば最近廃刊になった写真雑誌があったが、かつて80年代の末に講談社が同名の政治ジャーナル雑誌を発行していた。
短期間に、講談社の顔ともなった雑誌だったが、商売はあんまり上手く行っていなかったらしく、アグネス・チャンに関する誤報を口実にして廃刊になった。
父が購読していたこの雑誌を私もまた読んでいたのだが、海部内閣の頃、この雑誌が自民党分裂、それを契機として二大政党制へ移行すると予想していた。
この予想はその後、小沢一郎らが脱党し、新進党を結成したことから、半分は当たった。
当たっていなかったのは政党の位置づけである。
その予想に拠れば、新二大政党のそれぞれの中核になる政治家として、橋本龍太郎小沢一郎が挙げられていて、橋本龍太郎が福祉主義的な民主党を率い、小沢一郎新保守主義的な共和党を率いるだろうと考えられていた。
実際には両者の位置づけはまったく逆になったわけである。


小沢一郎も変遷が激しい政治家である。海部内閣の頃、自民党幹事長だった頃には、自民党内最右翼、極右政治家のように言われ、リベラルな言論人から蛇蝎のごとく憎まれていた。作家の瀬戸内寂聴小沢一郎の顔が生理的に嫌いと公言していたが(自分自身あの顔で)、要はそうした人権侵害の発言も許される空気があったということである。
新進党の後、自由党を結成した頃までは、むしろ小沢一郎は、いわゆるネット右翼的な人たちのアイドルであった。
現在のリベラル派的な扱いは、彼が変わったとも言えるし、右翼が更に右の彼方の彼岸まで行ってしまったからだとも言える。


今言えるのは、民主党の政権獲得はかつての田中派保守本流の再登板とは似て非なるものだということである。おそらくこの辺りが国民新党社会民主党との齟齬として生じるだろう。
田中角栄の政治とは、つまりは「柔らかなレーニズム」であった。レーニズムにおける人民とはユニバーサルなものではなく、もっと意味を限定した社団的なものである。
その社団性への批判が新自由主義的な志向となって、その中核にいた田中政治の継承者たちを動かし、20年に及ぶ困難な政治改革への挑戦となったのである。
ここまでやってこそ、田中角栄の政治とその業績にようやく fin が打たれる、つまり歴史となるのだ。
私はやはり小沢一郎田中角栄の弟子であるし、角栄を一番良く知るのは小沢だと感じる。


そんなことを今日の日に思った。