ウクライナ戦争について、ここまでの私見まとめ

僕は別にプーチンの肩を持つわけではないが、冷戦終結期のNATO不拡大の「約束」自体はあったと思っている。もちろん公文書や協定では残っていないだろうが、同時代を生きてきて、ここが疑われていることに驚く。

当時はNATO不拡大はむしろ常識であって、マスコミはそれを前提にした論調になっていたと思うのだが。公電や記者会見の記録でも残っているだろう。それを「約束」とみなすかどうかの話であって、信頼に価値を置く、信頼が相互理解の根底であるとみなすならば、いまさらソフィストまがいの詭弁を弄しても、分があるのはロシアであると思う。

NATOはもちろん対ソ封じ込めの道具であって、冷戦終結後、その存在意義を失くしたのである。このゾンビをそれぞれのプレイヤーがそれぞれの思惑で生かし続けたためのコンフリクトだろうと思う。

アメリカにとって今現在、NATOが存在する利益はなんだろうか。

第一に、単独の軍事行動を、多国籍に及ぼす装置になっている。それくらいだ。

私がアメリカ大統領ならば、廃止、もしくは脱退に踏み切っていると思う。デメリットの方が遥かに大きい。

WTOを廃止したソ連・ロシアに呼応せずに相互主義を害する。ロシアの被害者意識と過剰な警戒心を強化させてしまう。

NATO加盟国、特に「国境が遠くなった」国々の国防意欲を毀損させる。ドイツの軍事パートナーとしての無責任ぶりはこれに起因している。

③圧倒的な軍事保障下にあって、軍事当事者性を弱くした国々が、個別のテーマでアメリカと競合したり足を引っ張りかねない。ドイツやフランスの、教導者然とした振舞い、パックスアメリカーナへの攻撃、更には特にドイツに見られる別方面におけるアメリカの敵(中国)への加担。これらもNATO存在のおかげで国防案件が限りなくフィクショナルになったせいである。

 

NATOを解体して、必要ならば必要に応じて二国間軍事同盟に切り替えることで、アメリカは各国を切断操作できるし、アメリカvs他加盟国の構図ではなく、ヨーロッパ相互の軍事的緊張も高めることが出来る。もっと言えばドイツを欧州の敵にできる。ドイツの失墜はそのままアメリカに利益である。

仮にドイツが主導して欧州軍事同盟が結成されたとしても、徹底的にエゴイズムな行動様式を持つドイツ人が、アメリカ人のような信頼ある調停者になれるはずがない。そのヒビは、EUのまとまりをも揺るがすであろう。

ロシアの脅威がフィクショナルになりつつある状況では、EUにとっては中国は軍事的脅威にはなり得ないので、おのずとアプローチが日米とは異なる。つまりEU-中国連帯と言うものを常に想定しておくべきなのであって、EUを分裂させる、もしくは弱体化させると言うのは、大西洋のみならず太平洋にも脅威を抱えるアメリカとしてはやっておくべきことなのである。

a. 二国間防衛体制に移行して欧州をコントラーブルな状況下におくこと

b. ドイツの突出を防ぐこと

c. EUを独立したプレイヤーとはせずに、中国との協調関係を叩くこと

これだけの効果がNATO廃止だけで見込める。

ましてNATO拡大などは、アメリカにとっては、「予測困難な全面戦争に巻き込まれる可能性」を増やすだけであって、ポーランドバルト三国NATOの傘を必死に求めるのは理解できるが、アメリカには何の利益もないのである。

なぜそうならなかったのか。

第一に、アメリカ白人がヨーロッパに過度に重視するエスニックノスタルジーのせいであり、第二に、アメリカの外交マフィアの中に東欧人が紛れ込んでいて、彼らが「祖国」のためにアメリカを使おうとしたからである。

アメリカが移民国家であるせいのいびつさであり、これは戦後ずっとユダヤロビーのために中東地域でのアメリカの国益が毀損され続けているのと同じ現象である。

もし私がアメリカに絶対の忠誠を誓い、アメリカのためにすべてを数学的に処理できるならばそもそも私は首都を西海岸に移動させるだろう。それくらいしなければ、アメリカはプライオリティが高い太平洋国家としての性格をまっとうできないだろう。

とにかくアメリカにはアメリカの事情があって、数学的合理を必ずしも取れない、と言うことである。その非合理さが、ウクライナに凝縮してしまった。

ドイツは冷戦末期に「いつまでもヨーロッパの端ではいられない」と言うのを国是とした。冷戦期はドイツはまさしく最前線にあった。東西熱戦が起きれば戦場になるか、真っ先に焼かれる立地だった。緩衝国家を望むのは当然と言えるだろう。

ポーランドチェコスロバキアハンガリーバルト三国NATOにもEUにも組み込んだのはドイツである。アメリカはクリントン政権期は完全にそれに乗せられていた、と言うか積極的に加担した。アメリカ外交マフィアのドン、キッシンジャーブレジンスキー、オルブライトはいずれも「東欧人」である。

ギリシャのユーロ参加を黙認したのも安全保障上の理由があってのことだろう。ただし、ルーマニアブルガリアは距離があるのでそこまでドイツにとっては「どうしても」と言う国ではなかった。ウクライナは煽りはしたが、ロシアとの権益のためならば捨てられる程度の相手だった。

ウクライナは中立になるのが、妥当な落としどころだっただろうが、中立になると言うのはかなり難しい。卓越した外交能力と自制が必要になる。バカには中立政策はとれないのだ。

よほど理性的に振舞わなければ予防戦争を誘発する。今回のウクライナ戦争は典型的な予防戦争だろう。

損得勘定から言えば、アメリカにとってはウクライナはどうでもいい国か、むしろ憎い敵国である。ウクライナは中国から利益を引き出すべく振舞ってきた。それはアメリカの敵ということであり、「間違っても民主主義の大義を掲げるアメリカは攻めてこない」と舐めた振舞の結果である。

ドイツにとっては「そこまで重要な国」ではない。できれば関わりたくない。

しかしゼレンスキーは、穏健に理性的に中立的に振舞ってロシアとなんとかやっていく、と言う道ではなく、演劇的に旗を掲げて「一皮むけば口先だけの老民主主義国」を自爆で巻き込むという戦略をとってしまった。

役者である。主演役者である。

もちろん実際に侵攻したプーチンが悪であり、どうしようもないのは間違いないことであるが、ゼレンスキーのウクライナが、殺害される何千人ものウクライナ児童を生み出したのも事実である。

ウクライナバルト三国のような、非の打ちどころのない「弱者」でも「被害者」でもないのだ。フィンランドのように忍耐心の限りを尽くした理性もなく、とてもとても若い国である。

プーチンはまあ、プーチンである。最初からプーチンだった。酷い指導者だが、あれでなければロシアがまとまらないとロシア人が思うならそうなのだろう。私には関係のないことである。ロシア人の幸福はどうでもいいし、集団としてのロシア人を信用できる要素は最初からかけらもない。

だから私が彼らを見る目はヒグマを見る目と同じである。ヒグマに人間性を期待する方が無意味だろう。彼らの抱えたあまりにも巨大で自己愛に満ちた被害者意識は、合理的な政策をとりづらくさせ、他者よりも自分自身を傷つけている。しかしそれもまた人間である。人間であることはヒグマ性を内包している。

ゼレンスキーもそのような人として扱うべきだろう。ウクライナを支援するなというのではない。自分の演劇性のために子供を死なせるような男である。国民全員に戦えと命令するような男である。傭兵を国内に入れてしまうような男である。彼の立場では一生懸命やっていると言う人もいるかもしれない。

だが指導者がそう言う立場にたたなくてすむように行うのが政治である。今目の前にあるのは政治の失敗であって、それを許してしまったロシア人とウクライナ人双方の幼稚さである。

なぜ日本人が巻き込まれる必要があるのか。私たちはそんなに安くはない。

起きてしまったこととして次善の策としては、ウクライナが負けないように引き伸ばす、しかないだろう。それはつまり、ロシアの力をそぎ、ロシアの指導者に望ましい人物が立つまでウクライナ人には死に続けてもらうということである。