立川ビラ訴訟判決確定

非常に重要だと思うので書いておく。事件の経緯はウィキペディアを参照。
立川反戦ビラ配布事件
ビラ配布については形式的な違法性があるとしても、現実として野放しになっている現状がある。
嫌ならば読まずに捨てればいいだけで、強度の被害があるとは思えない。
自転車の二人乗り、逆走、歩道走行など、もちろん危険ではあり、違法ではあるが、現実に蔓延し、特に逮捕も検挙もされていない状況がある中、左翼がそれをすれば逮捕されしかも75日間も拘禁されるような事例があれば、如実な恣意性を指摘せずにはおけない。
今回の場合は、更に表現の自由憲法が支持し、商業的な公宣よりも政治的なものは特に擁護されるべき理由があるにもかかわらず、罪件を構成するかどうかさえ大きな異論があり得る微罪で、逮捕するとは、警察はいったい何をしたいのか、その意図を疑わざるを得ない。
もちろん、最高裁で上告が棄却され、判決が確定したように、表面的な法理は整っている。たとえそうであるにせよ、一般にビラ配布という公宣手段が特に珍しいものではない以上、可罰的違法性は棄却されるものだろうと思うが、高裁と最高裁はそのようには考えなかったわけだ。
国民審査の際、今回の判断を示した今井功裁判官に是非とも拒否の意を示したいが、実際問題、国民審査でいまだかつて裁判官が罷免された例がないことから考えて、自己満足以上の効果はないだろう。
公安は微罪逮捕が常套手段とはいえ、ここ数年来、非常に踏み込んだ姿勢をとるようになっている。
猿払事件以来、実質的には公務員の中立性をまったく毀損しない場合の公務員の政治的行為の参加については、法学界からの公務員といえども中立性に影響しない形での政治行為までが禁止されるはずもないという定説を踏まえて、長らく運用において黙認というかたちで警察が国家公務員法の厳密な適用を見おくることによって、公務員個人が持つ表現の自由との両立を図ってきたが、2004年の社会保険庁国家公務員法違反事件では、公務員という立場とはまったく無縁の状況において政治活動(共産党の機関紙の配布)を行った公務員が逮捕されるということも発生している。
おそらく自由新報の配布であればこのようなことにはならなかっただろう。
アムネスティが今回の事件の被告を良心の囚人としたのもむべなるかな、だ。
日本の恥だ。もちろん被告たちが、ではない。
公安が行き過ぎを示す時、それを制止するのは司法の負っている根源的な責任だが、残念ながら今回はそれが機能したとは言えない。
裁判員制度が機能するようになればこのようなカフカ的状況は改善されるのだろうか。そうであって欲しいが。