オーマイニュースの終焉

オーマイニュースは失敗するよ、失敗するよと言い続けて、案の定、予想通りに失敗した今、ほら見たことか、と手を叩いて喜ぶ気にはなれない。
経営の失敗は経営者であるオ・ヨンホ氏自身の責任とは言え、儲けたのは鳥越俊太郎ばかり、傍から見ていると、口八丁手八丁の団塊おじさんに、いいようにカモにされたようにしか見えない。
インターネットに興味も無ければウェブ言論の蓄積を評価もせず知識も持たない鳥越俊太郎氏は、オーマイニュースの編集長としてこれ以上はないというほどの不適格者だった。
よりによって、ああいう人を選んだことがオ・ヨンホ氏の不明だったというしかないが、彼も異国の人で、日本の状況を知らなかったのだから、情状酌量の余地はある。
オーマイニュースの編集長には、ジャーナリズムのプロではなく、日本のウェブに詳しい人を据えるべきだった。韓国での成功体験をそのまま日本でもスライドさせようとした、よく言えばオ・ヨンホ氏の理想主義が道を誤らせたとも言えるし、悪くとれば無根拠なウェブ先進国のプライドが現実をあるがままに見ることを邪魔したのだとも言える。
日本におけるウェブ言論の本格的な充実は、やはりブログが隆盛を極めてからのことで、その端緒を開いたのは、はてなダイアリーである。
2003年3月に正式リリースし、それを追うようにココログエキサイトブログgooブログなどがサービスを開始し、僅か一、二年のうちに爆発的にブログは普及した。
私が初めてブログを開設したのは2004年3月、ココログでのことで、玉石混合ながら玉の部分は非常に質が高い言論空間が展開されていたのを肌身として知っている。
オーマイニュース日本版の開始はそれからすでに3年以上が過ぎてからのことだ。
ビッグバンはもう終わり、ウェブで発信したいような人たちはすでに発信していた。
つまりオーマイニュースが直面していたのは、まったくのゼロから市民ジャーナリズム空間を提供することではなく、既にある一般市民の言論・ジャーナリズムからどうやってオーマイニュースをポータルとして人々を移行させるかと言うことだ。
「健全な」市民ジャーナリズム、編集部が出した答えはそれだったが、状況認識があまりにも甘すぎたと評さざるを得ない。
書き手の立場になって考えてみればよい。
当時、私がやっていたブログはそれほどの規模ではなかったがそれでさえ、1日あたりのPVが6000はあり、大手になれば10万、20万はざらである。
単に読者を得るためであれば、オーマイニュースは必要なく、読者を得るためにオーマイニュースに頼るような人ではそれなりの記事しか書けないので、オーマイニュースとしては旨みが無い。
カネのためといっても、小遣い程度にすらならない原稿料で、一方で実名で書くなど制約は多い。
これで質の良い書き手が集まるとオーマイニュースが考えていたとすれば、そちらのほうが不思議だ。
既にあるブロゴスフィアと、それよりも悪い条件で真っ向勝負して、勝てると思っていたのだとしたら、頭がよほどお花畑だったというしかなく、ブロゴスフィアにない機能、ブロゴスフィアが弱い機能を提供することにしか活路はなかったはずだ。
それか、原稿料をきちんと支払うか、だが、それはそれで経営上リスクは高い。
ブロゴスフィアが弱い機能とは、めいめいが好き勝手に書いているのがブロゴスフィアなので、議題設定が自然発生的にしか生じない点であり、フォーマットとして企画を提供すれば、その企画の場はオーマイニュースが独占できたはずだ。
たとえば、日本の右派のブログサービスとして iza!ブログがあり、はてなダイアリーは左派の巣窟といわれている。東は東、西は西、決して交わることはない。
古森義久氏とid:Apeman氏の対談があったなら、見てみたいと思わないか。
適当なところで話をはぐらかす有名ブロガーの首ねっこを捕まえて、徹底討論させてみたいと思わないか。
オーマイニュースが目指すべきだったのは朝日新聞でもなければCNNでもなく、新日本プロレスだったのだ。
オーマイニュースに必要だったのはジャーナリストではなく、企画屋だったのだ。ジャーナリズムは後からついてくる。
こうしたことは手を変え品を変え、既に多くの人が言っていたし、中には直接、オ・ヨンホ氏に言った人もいるだろう。それでいて、この撃沈をどう評すればいいのか。
かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ韓心、だろうか。
オーマイニュースがやりようによっては非常に面白い存在になっただろうと思うだけに、その終焉が苦々しい。