改めて求められる選挙制度

以前も書いたことだが、中選挙区制度は多数派の見解が反映され難い政治制度だ。
定数が5議席ならば当選に必要な票は有効票の2割。しかし仮に第一位当選者が全体の4割を得票した場合、二位以下の当選者は1割5分で当選可能になる。同様のことが二位以下においても発生し、最後の当選者は非常に少ない得票で当選可能になる。
例えば森さんに反対の声が圧倒的に多く、その批判票が田中さんに吸収されたとしよう。田中さんは非常に高い得票数で当選するだろう。しかしその場合、他の当選者が必要とする得票の割合は劇的に下がり、森さんの当選も容易になるという逆説が生じる。
このことがつまり、かつての中選挙区制で腐敗政治家を有権者が追放できなかった理由だ。
小選挙区制に問題が多いとしても、中選挙区制に戻すのは論外だ。
中選挙区制こそ、限りなく最悪に近い選挙制度だ。
小選挙区制度「日本に不向き」
リンク先の記事で言っていることは分かる。ここで言う日本社会の同質性とは、つまり純粋な市民社会がそこにあるということだ。
英国やアメリカでは単純小選挙区制を採っているから、本来なら日本よりはるかに極端な結果が出るはずなのだが、そうなっていないのは、例えば黒人なら民主党、南部のバイブルベルトならば共和党というように有無を言わさぬ投票行動における頑迷さがあるからだ。
それはむしろ英国やアメリカ社会の病理であるが、病理を前提としたうえで適応的な選挙制度を用いているわけである。
日本では、本来、革新地盤の首都圏が郵政選挙では自民党が獲得したり、保守地盤が強かった東北や新潟で今回の選挙では民主党が優勢になったりと、是々非々で判断する傾向が強い。
それが結果として小選挙区におけるランドスライド傾向を強めている。


とは言え、今回の民主党の大勝においても、自民党はおおよそ120議席、前回、民主党の獲得議席をやや上回る議席を獲得しているわけである。
それよりも少ない議席から、今回の大勝につなげた民主党の例を見るに、充分に政権奪取可能な規模だと言うことは出来る。
従って、小選挙区制度の持つ「過剰な」流動性は、実は現在のところ制度を否定するほど、過剰ではないということも出来る。
自民党には石破茂氏など、残るべき人は残ったと言うことも出来、人材の継続性はまだ担保されている。
過剰なのは小選挙区制がもたらす結果ではなく、それを見て右往左往する人たちの「危機意識」の方だろう。