負けに不思議の負け無し

前回、2005年の総選挙後に書いた民主党への叱咤激励の記事を読み返してみた。
「絶望するには及ばない。小選挙区制なればこそ大敗もし、小選挙区制なればこそ政権交代も可能になる。次回の総選挙では民主党は今回の自民党以上に議席を獲得することも充分可能だ。
嘆き悲しむ贅沢は許されない。今日からでも民主党は地べたを這いずり回って党再生の努力をさっそく始めるべきだ」
だいたいそういうことを書いた。当時の岡田克也代表をあれほどの大敗を招いた代表として、私は嫌った。彼には民主党を積極的に選びたいと有権者に思わせる力量が欠けていた。
だが彼もその後、全国行脚に精を出し、党の再生に尽くした。過去のことは水に流すべき頃合かも知れない。
思うに、私が岡田克也氏に対して激怒の感情を抱いたのも、それだけ民主党を大事に思う気持ちが自分の中にあるからだろう。今回、自民党が大敗を喫したが、自民党に檄をとばすほどの気にもなれないのは、要は愛情が欠けているからだ。
今、民主党の枢要にいる人たちは、かつて自民党の枢要かもしくはその近くにいた人たちであり、そのまま自民党にいれば、たやすく権力を手に入れられた人たちである。小沢一郎氏でさえ、自治大臣の経験しかない。そのまま自民党にいれば、大蔵や外務はもちろん、総理大臣にだってなれた人だ。
今後も是々非々で批判すべきはしてゆくが、少なくともあの人たちが自らの利益の上に国家国民の利益を置いてきたことは微塵も疑っていない。
今日は素直に20年来の宿願の成就におめでとうを言いたいし、謝意も表したいと思う。


小泉元首相は自民党を壊すと言い、壊したとも言われる。しかし問題なのは、その破壊ではなく、破壊の不徹底さにあった。どうも小泉氏自身、その限界は意識していたようで、民主党政権の誕生を、彼もまた期待していたように思う。
麻生首相については、彼自身のキャラクターの問題もあったにせよ、不運な側面もあった。
首相就任直後に解散に打って出るのが彼にとってベストの選択だったことは分かっていたはずだが、やはりあの時期に、政治的空白を生じさせるのは危険過ぎた。
金融危機直後の異常な円高の進行を見れば分かるとおり、日本だけがあの時期、アンカーの役目を果たすことが出来、麻生首相はそれを成した。首相のその判断は間違いではなかったと思う。
ただ、根本的に感度が低いのは、例えば敗戦の弁においても、地方の商工業者の弱体化を招いたことに自民党の敗因を求めたことからもうかがわれる。
規制緩和、つまり社団の否定は、小泉改革以前から進行していることであり、基本的には避けられないことである。自民党の敗因は、破壊が不徹底であったこと、更に先を行かなかったことにあるのであり、やったことではなくやらなかったことが問題なのである。
年金問題にしても、以前とは異なり転職を繰り返す人も多く、従来型のシステムでは補足しきれない。年金の税金化はシステムを実情にあわせて簡便化するということであって、従来のシステムを「改善」するだけでは絶対に達成できないことだ。
自民党は「改善」をしようとした。そしてその「改善」が拙速に過ぎたと反省をするのはナンセンスなのだ。自民党がやるべきだったのは破壊と再構築であり、しかしそれは自民党がほぼ半世紀与党であり続けたことを思えば限りなく不可能に近い。
小泉元首相でさえ手をつけられたのは郵政だけで、既得権益で身動きがとれなくなった自民党には、どうしたって出来ないことだった。
それは仮に民主党が同じポジションにあったとしても同じことで、政権交代自体に意味があるのは過去のしがらみをどこかで一度断ち切らないといけないからだ。


鳩山次期首相は死ぬ覚悟で政権運営をやって欲しい。
命惜しむな名を惜しめ。