君主の退位について

退位後の君主の呼称について、今日の典範で規定がないのは、君主の退位を想定していないからである。
君主が退位することは、深刻な継承問題をもたらす可能性がある。我が国では、歴史的には、必ずしも直系継承を優先してこなかった。
直系継承、長幼順継承を尊重しながらも、時と場合の事情事情によって、主に皇室内の治天の君か、関白・太閤の意向によって継承ラインが形作られてきたのである。
そのため、皇統が分裂することがしばしばあり、その最大のものは南北朝期の対立であるけれども、それ以外にも小規模な分裂が見られ、それを防ぐために、継承ライン外の皇族は出家させたり、他家に養子に出したりする必要が生じた。
そのことが江戸時代前期から既に皇位継承権者の極端な少人数化を招き、皇統の危機は実はすでにかれこれ、400年近く継続した問題となっている。
女系継承を容認する英国においては、継承者の不足という現象は生じていない。いわゆる狭義の王室メンバーの人数はそう多くは無いが、貴族や平民や外国人の中にも王位継承権者(ゾフィー選帝侯妃のプロテスタント子孫)は多数いるので、継承権者が絶えるということは無い。
しかし君主の退位から生じる問題は、継承権者の人数とはまた別の問題である。
継承が、君主から皇太子へと引き継がれるならば、問題は生じないが、必ずしもそうはならず、王位が君主の兄弟や甥あるいは姪へと継がれる、つまり傍系へ継承されることもある。
その場合、退位後の君主に子女が生まれた場合、その子女の継承順位はどうなるのか、王位を引き継いだ新君主と、退位した君主の子女のどちらが正統なのかという問題が生じることになる。
こういう問題が起こりえるから、直系継承を前提にしている欧州の君主国では、退位はほとんど見られない。見られる場合は、スウェーデンのクリスチナ女王のように、法的にはあくまで正式の君主ではないか、オランダのウィルヘルミナ女王のように直系子孫への継承がなされているかに限られている。
英国では原則的に君主の自発的な退位は出来ない。
王位継承は、権利ではなく義務である。
エドワード8世が退位した実例があるが、これは形式的には王位継承者(ジョージ6世)の同意を得た上で、議会の承認に基づいて「義務が免除」されたのであって、事実上限りなく退位であるが法的には厳密には退位ではない。従って、彼が在位していた時期において彼は国王であったけれども、その地位を退いたのであれば、前国王としては処遇されないのである。
退位後のエドワード8世の位置づけは王の兄弟であるウィンザー公であるに過ぎず、王室内での序列は、
1.君主であるジョージ6世
2.ジョージ6世の王妃エリザベス
3.Queen Mother であるメアリー太皇太后
4.エリザベス王女
5.マーガレット王女
に次ぐものであって、前国王としては処遇されない。