小沢幹事長を思う

ここ最近の彼の動きやその批判のされ方を見ていて、既視感に襲われている。
1980年から90年代初期の「小沢幹事長の時代」、今からかれこれもう20年も前になるが、あの頃の彼の傲岸不遜ぶりと言ったら無かった。
政治家の二世三世と言ったらだいたい傲岸不遜なものである。しかしそれにしても小沢一郎の傲岸ぶりは群を抜いていた。それはわざわざ極限まで、傲慢の限りを尽くしているようであり、普通、傲慢と言えばサド的な性格に思われるが、その裏返しとして叩きに叩かれるわけで、この人はマゾではないかと思った。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言うが、地位が上がれば上がるほど謙虚であるべきというのは、単なる処世の話ではなく、その人に接する人たちがおのずと恐怖やコンプレックスを抱くのだから、謙虚であってようやく釣り合いが取れるのだ。
人間社会の縮図である政治の世界にいながら、他人を思いやるセンスのなさ、人間観察能力の欠如は逆の意味で奇跡的なほどだ。別に竹下登ほどの高度な名人芸ともいえる自己演劇性を要求しているのではない。
社会人としてどうなんだという程度の話である。
田中角栄金丸信、ある時期までの竹下登が、小沢の何を見込んだのか、今となってはそれは謎の中の謎だ。
ともあれ、1980年代の小沢幹事長の時代、小沢は誰の目にも明らかな傲岸不遜な人物として、マスメディアからは公敵視されていた。
こういうエピソードがある。
自由民主党幹事長として訪米した際、ホワイトハウスかどこかの奉加帳に、他の人たちは罫線に沿って名前を書いているのに、彼のみがほとんど1ページをまるまると使い、「自由民主党幹事長 小沢一郎」と記名していた。
このエピソードを私が知っているのは、新聞がそれを伝えたからだが、もちろん新聞はそれを気宇壮大とは見ず、幼稚な自己顕示欲と見た。
彼がどのように見られていたか、どのように扱われていたかを提示したくてこのエピソードを引いた。私がこれについて評するならば、自己顕示欲とは見ない。そういう欲求は自己と他者の区別がついている人間が持つものだからである。
幼児的全能感は自己顕示欲の表れではなく、ただ単に自己の境界を把握する能力の不在に由来している。
英雄と呼ぼうと、幼稚な自己愛者と呼ぼうと、壊し屋と呼ぼうと、革命者と呼ぼうと、とにかく非凡の人であるには違いない。良くも悪くも。
金丸失脚に伴い、小沢もまた経世会を割り、流転の日々を過ごし、世間は牙を抜かれた小沢をむしろ改革者として賞賛するようになった。
年月の苦労は少しは彼を丸くしたかのようにも思われた。
そして再び「小沢幹事長の時代」が巡ってきた時に、20年の歳月は彼をまったく変えていないことが突如として明らかになった。
正直、もう海部内閣のようなごたごたはうんざりだ。
小沢は今、チルドレンを率い、我が世の春を謳歌しているが、いずれ必ず袂をわかつだろう。
新生党を小沢と共に結党した仲間もほとんどが、岡田克也も二階も熊谷も羽田も渡部も、そして藤井財務相でさえ小沢から離れた。
乱世は共に戦えても、美酒は共に味わうことは出来ない男だ。
小沢は変わらないことが明らかになったし、この先も変わらない。鳩山代表は決断をすべきだ。