再反論があった

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080401/p1
彼の言う「いい加減に分かれよ」というのについては分かっているつもりだが、コメントにおいて、私がアイヌの問題を問題視していないかのように捉えられている意見があったが、これこそまさしく相殺化の一例だろう。id:mojimoji氏も言うように、それぞれでやればいいのである。

「どっちもどっち」「いずこも同じ」なる相対化を行い、目前の暴力行為に沈黙をしてしまう、沈黙を強要する」

なる文が書き方が悪かったのだろうが、私は直接にid:muffdiving氏がそれを行っているとは書いてはいない。mojimoji氏は補って読まれたのだろう。
ここで述べていること自体には、同意いただけると思う。それについてはおそらく私たちの間にはそれほどの距離はない。
しかし結果的に、彼のなした行為がある種の効果を持ってしまうことについて、言っている。彼が単に、アイヌの問題についてその無理解を糾弾しているだけであるならば、特段の問題はないが、チベット問題との温度差というかたちでチベット問題と並列しているということはある。並立的に捉えることを問題だと私が考えるのは、まさしくmojimoji氏の言う、「iteau氏はこの引用部において、アイヌチベットの問題としての軽重を問うのである。どれくらい太い神経があれば、そんな発想ができるのか、ちょっと考えられない。」とも評される認識が私にあるからなのだが、緊急性はそれ自体が重要度と関係している。緊急性においてそのような発想をすることを、mojimoji氏はなぜ問題視するのかは分からない。
緊急性の評価はそれ自体重要度の評価とも関係してくることなのだが、あたりまえのことだが、緊急性においては決して喫緊とは言えなくとも、問題それ自体がないとは言えない。
むしろ緊急性に欠けること自体がすでにビルトインとして完了しているということでもあり、別の基準においてはより問題視されるということはあるかも知れない。
アルジェリアベトナムで行われ、ジンバブエで進行中とも捉えられる被征服者による原状回復が、オーストラリアやアメリカ合衆国においてなされていないのは主に征服者の規模によって、支配がビルトインされているからだとも言える。
ただし当面の生命の危険や暴虐の程度を問うのであれば、ビルトインされた支配については、確かにより軽く扱うしかない。もちろんそこに非常に大きな問題はあるが、残念ながら過去を完全に回復することは出来ぬのである。
補足として、言うのであれば、id:muffdiving氏ご自身はある種の関与の不在の問題については、自覚的であろうし、特に悪質なものとも言えない。
ただし、暴虐の緊急性において異なったふたつの問題を並立して提示することはその評価において、評価がもたらす影響において問題があると思う。
さて、氏は日本の戦争責任を問うことと、中国政府の暴力的な統治を糾弾すること、両方やれば言いという。まさしくその通りであって、私が両方やるべきだという主張であるのに対して、そうではないというようにどうして捉えられたのだろうか。
私が言っているのは、中国政府による暴力的な統治や少数民族や民間人を軽視する態度を批判するのであれば、当事者として日本人が過去において行ってきた暴虐を見過ごしにすることは出来ないだろうということ。それに対する批判は日本人がそれをしたからという以上に暴虐であったということによって批判されるべきだということ。
そして暴虐に対しては同じように中国人に対しても批判がなされるべきだということ。日本の戦争犯罪に対して中国政府が糾弾するのであれば(それ自体はまったく正当なことだ)、おのずと自己批判をしなければならないということ。両者は別個に存在する問題ではなく、暴虐という程度において密接に関係していること。しかし緊急性においては現在の喫緊の暴虐の抑制が優先されるべきであること。
単に属性を理由として、批判が猶予されるようなことがあってはならないこと。それがされた場合、結果として一方の暴虐を助長することにつながること。
私が言っていることはそういうことであって、そう書いているつもりだが、どうしてmojimoji氏は私が両方やるべきでないと言っているかのように捉えているのだろうか。
それと同時にアイヌの問題とチベットの問題ももちろん両方やるべきである。しかし喫緊性や程度において大きな違いはあり並列は出来ないよと言っているのみである。

 挙句、次のようなことまで言う。

被抑圧者を叩いてきたから非難されていたのではない。中国を叩いていたから非難されていたのだ。

 muffdiving氏は「朝日も、アイヌの件取り上げるんだったら、中国がチベットに対してやらかしてることに対して非難せいよって感じなんですが」と述べたのだが、これがどこかで批判されただろうか。されているわけがない。そのことを見るだけでも、iteau氏のこの主張は当てはまらないことは分かる。

ここの部分についてmuffdiving氏のこの言葉が提示される理由がまったく分からない。私としては意味不明というしかないか、それは批判ではなく、相方の考えの違いゆえかも知れない。補足していただければありがたい。