当事者でなければ見えにくいもの

先日、テレビで、風俗スカウトの様子を映した映像を見た。
若い、美人と評して差し支えない女性が新宿や池袋を歩いているだけで、風俗のスカウトたちが次々と群がってゆく。しかもその勧誘が実にしつこい。
拒否しているにも関わらずつきまとい、挙句には行く手を阻もうとする。どこまでも、どこまでもついてゆく。
妻に聞いたところ、自分はそうしたことにはあまり遭ったことはないけど、そういうことはよく聞く、という。若い女性にとって鬱陶しいだけではなく、恐怖でもあるだろう。
彼女らが町を歩くだけで、こうした厄介な状況に巻き込まれていることは、私としては言われない限りまったく想像もしていなかった。
さまざまな分野で、例えば痴漢冤罪の件などで、彼女たちが置かれている状況から発している意見を、その状況を充分に知っているとは言えない人との間で、評価の仕方が著しく異なることがあるのではないかと思った。
当事者でなければ分かりにくい状況まで想像して、どうしてそのような意見が出されているのかまで補って考えなければ、なかなかに頓珍漢なことを言ってしまうこともあるのだろうと、ちょっと反省した。