古森義久さんの朝日新聞批判記事

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そんななかで、「ポル・ポト派の革命は虐殺や殺戮はない」と報道していたメディアがおそらく全世界の大手でも唯一つ、存在しました。わが朝日新聞です。
ポル・ポト派の革命は「アジア的な優しさ」があり、「粛清の危険は少ない」というのでした。現実にはカンボジア国民全体の5分の1にもあたる170万という男女が殺されていたのです。

朝日新聞記者で、その後、テレビ朝日の「ニュースステーション」のコメンテイターもしていた和田俊氏がクメールルージュの行動予測について結果的に大ポカをやったのは有名な話で、しばしば保守系のメディアにいびられているネタである。
ただし古森氏が挙げている記事はクメールルージュの首都入城直後に書かれており、この時点で欧米メディアを含めて、クメールルージュの犯罪性を指摘した記事は出回っていなかったよう。
和田氏の記事に問題点があるとすれば非常に情緒的かつ根拠のない推測に溢れていて、これは記事そのものというより、いわゆるコラム記事という性質ゆえだろうが、それにしてもというレベルである。
ともかくこの時点で、粛清という行動を肯定したり、粛清が起こりえることそのものを完全否定したかのように言うのは古森氏のミスリードと言わざるを得ない。こういう手法をとることは、批判されてしかるべきだろう。
そうしたミスリードをせずとも、それから2週間もたたないうちに各国メディアによって伝えられ始める、クメールルージュの虐殺の開始を考えれば、和田氏の予測が完全に外れたと言うのみならず、非常に楽観的かつ調査力に乏しい記事を書いていたということは動かせず、新聞記者としては充分に非難されることである。
ただしクメールルージュ政権の樹立の翌月には、朝日新聞ニューヨークタイムズ紙の記者が伝える、騒乱に満ちたカンボジアの情勢報道を邦訳して掲載している。
内容は、どうして同時期にカンボジアで取材をしていながら、情勢報道が和田氏とこれほど違うのかと思うほど、非常に絶望的な惨状を伝えている。どちらかが充分な取材をしていないのか、どちらかが非常に偏った評価をしていたということになるが、結果的にはニューヨークタイムズの提示した見方の通りに状況は推移してゆくことになる。
ニューヨークタイムズの記事に対して、欧米的偏見を示して反論をしたのが朝日新聞本多勝一記者で、結果としてクメールルージュの全体の評価においては当初は本多氏も誤謬を犯したことになる。
もちろん、そうした誤謬は新聞記者であれ起こり得ることであり、そうした一般的な陥穽を越えて、批判に値するかどうかは、私としては猶予したいところである。
むしろ和田氏の場合の方が、手法として情緒的に過ぎること、用語の選定が偏っていることなど、新聞報道一般に求められる態度から見ても批判される度合いが強いように思う。