世界にとっての中国問題

主要先進国首脳会議(サミット)は元は純粋に経済問題を討議する場として設定されたが、レーガン政権下、アメリカ合衆国で開催されたウィリアムズバーグサミットあたりから、西側諸国の結束を示す、政治的な意味合いが強くなった。
もちろん内部的にはアメリカとフランスの対立のように、齟齬はあったのだが、西側なるひとつの枠組みを形成することには成功したと言え、それが80年代末からの社会主義諸国の崩壊を促す、もうひとつの軸となった。
その後も、政治的な枠組みとして続いてきたのだが、エリツィン政権下でロシアがメンバーに加わったことは、脱枠組み化の表れではなく、むしろ枠組みの強化と見た方がいい。
主要先進国首脳会議(ロシアが参加以後は「先進国」が抜けることが多いが)をどのように運用してゆくかと言う点で、大きく言ってふたつの流れがある。
ひとつには、民主的な政治体制を持つ先進資本主義諸国が結束して世界に影響を与えてゆこうとする姿勢。エリツィン政権下でロシアが取り込まれたのは、ロシアの西欧化をこの視点から促すという意図があったからである。結果的にプーチンの右傾化によって、裏目に出たともいえるが、差異の許容範囲を大きくとれば、ロシアはまだ受容可能である。
もうひとつ、対立的な姿勢としては、実質的な世界政府として運営してゆこうとするものであり、その場合、世界の主要国がイデオロギーに関わらず網羅されていなければ、世界性を維持できないので、中国にも門戸を開きましょうという姿勢になる。
旧西側先進諸国としては、もっとも甚だしい程度で中国の脅威に晒されている日本は、「西側」を維持して中国にあたろうとするのが基本セオリーだと考えるが、実際には後者の姿勢、つまりサミットの世界政府化を進める政策を採っている。サミットへの中国の参加に積極的なのが特に日本だということだ。
これは中国の穏健化、世界標準への適応を促すのであれば、必ずしも間違った姿勢ではない。問題は、思惑通りに中国の穏健化が進むかどうかという点だ。
中国の参加にむしろ消極的なのはフランスを中心とした西欧諸国である。かつては、レーガン政権下のアメリカとの対立で、サミットのイデオロギー化に消極的だったフランスだが、イデオロギーには問題処理において共通のコモンセンスがあるという実際的な効用もある。
中国のサミットへの参加は、サミットの実質的な処理能力の低下をもたらす可能性もある。主要先進国として結束していればこそ、中国に対して各個撃破を許さず、影響力を行使できる面もある。
例の冷凍ギョーザ事件はそれ自体は決して大きな問題ではないが、それをどのように処理するかは大きな問題である。
単に日本と中国の問題にとどまらず、中国政府が「話が通じる」かどうかを、監視されている。
グローバル化が進む中で、共通ルール、問題処理の常識的な対応の仕方が成立するかどうかという問題は、中国をどのように遇するかという問題と重なっている。
現状では中国の穏健化を促すために、排除の論理を前面に打ち出さないまでも、中国がそのまま、これまで形成されてきた世界的な運営の常識にあてはまると見ることは危険である。
サミットの世界政府化を進めるのであれば、政治体制と経済体制において、共通の土台を持った新たなる枠組みの形成が同時に求められる。