弱者格差

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20080905/p1
kmizusawaさんのところ経由で、久しぶりに発言小町妻に愛情はあるが離婚したいを読む。
私は以前、このトピックにこれから書くような内容のことを書き込んだが、どうも没になったらしい。
トピックの内容は要約すると以下のとおり。
妻はどうも共感能力が欠落していて、場違いな発言、行動ばかりしている。夫はある種の食べ物に対してアレルギー症状があるのだが、妻はアレルギーを「好き嫌い」程度にしか捉えていなくて、こっそりそのアレルゲンを夫に食べさせたところ、夫は命にかかわる事態に。
夫が言うには、妻のことは愛しているけど、一緒に暮らすのはもう難しいとのこと。
実際、難しいんじゃないかと思うけど、kmizusawaさんのご感想としては、赤の他人がそこまで叩くのもいかがなものかというもので、クールというか、いつもながら私から見ればこの人の着眼点はどうもズレているように思う。
問題はそこですか?
アレルギー反応を好き嫌い程度にしか認知できない認知能力は明らかに普通ではない。
アレルゲンをアレルギー症状者にこっそり食べさせようとするのも、判断能力において普通ではない。
つまり、この妻は明らかに普通ではない人であって、トピックでもさんざん指摘されているけれども、何らかの認知障害精神障害を疑うべき人なのだと思う。
夫であればまずなすべきは、妻を道徳的に非難する前に道徳や病気を理解できる認知能力が妻にあるのかどうかを確認することではないだろうか。
とりあえずの対症策としてはもちろん自衛のために食べるものは自分で調理するというのは絶対やるべきだとしても、その原因を妻を信じる/信じないの次元に落とし込むのは判断が早急すぎる。
道徳の問題にしてしまう前に、夫はまずやるべきことがあるだろう。
あれだけ多数の人からその可能性を指摘されながら、どうして判断を下す前にまずは調べてみるということができないのだろうか。
アレルギー症状についての無理解を嘆く人が、先天的な性格疾患に対してまったく無理解に振舞っているのだ。
もちろん、そうした「異常者」と一緒に生活することは非常に困難であり、原因が疾患にあることを認識しながら、共に生きてゆくことを選択できない、ということはあり得る。
しかしその場合は、相手の道徳的な問題によって別れるのではなく、相手の疾患を自分が許容できなかったから別れるのだ。
それは自分の許容能力、忍耐力の問題であって、決して相手の道徳的な問題ゆえではない。
ごく特殊なアレルギー症状という自分の疾患ゆえに、一般よりもはるかに注意深い調理を相手に求めることを当然視しながら、相手の疾患に対して疾患の可能性さえ探ろうとしない態度はまったく身勝手以外の何物でもないと思う。
こういうことを言うと、ではおまえはそうした疾患者と一緒に暮らせるのか、できないくせにただの偽善者めが、みたいなことを言う人が出てくるが、そういうことが問題なのではない。
それで言うならばアレルギー症状を持っている人と一緒に生きることも、決して楽なことではなく、その困難さゆえに相手を責めることがまかりとおるならば、どうしてこの夫は自分が妻とはいえ他人にとって負担になっていること、負担を強いていることに思いを致さないのか。
そもそも自分の病気なのだから、特別な調理が必要ならばそれくらいは自分でするのが当たり前だと思う。
これもまた、弱者属性が社会で主流的に認識されている立場の人が結果的に帯びてしまう、「奥様ファシズム」の一例(やや変種ではあるが)だと思う。
単にその疾患が一般的ではない、解明が難しいという理由だけで、性格や能力のせいにされて、糾弾されている人はたくさんいるだろう。
そしてしばしばそうした糾弾には、単に社会的に流通しているというだけの弱者も加わるのだ。