田母神前空幕長定年の件

落としどころとしてはそんなところだろう。
田母神論文は少なくとも歴史認識の部分については私もお粗末極まりないと思うし、論文の体を成していない。学部学生のレジュメとしても、赤点をつけられかねないものだ。
大学教授から「小学校からやり直せ」との誹謗にも近い評もきかれたが、思想云々以前に、形式への評価としては素直な意見だろう。
私としては、思想がどうしたというよりも、空幕長の任にある人が書いた論文がああいう水準であったということの方がよほど衝撃的だったが、あれを大賞に選んだ団体や選考者は著しく信用を失墜したというべきだろう。
あれに名を連ねた人たちは、もはやまともな知識人とは見なされないに違いない。
ただ、そうした水準の問題、思想内容の問題と、憲法上の思想信条の自由の問題とはまったく別個である。
今回の一件は明らかに職務とは何ら関係のない場面において、特定の政党、政治勢力とも無関係になされた、ごく私的な行為であって、教職員の国歌斉唱拒否等と比較しても「違法性」の根拠の乏しい一件である。
一方、浜田防衛大臣による「処分」は違法である可能性が非常に高い。
田母神氏が懲戒処分に抗う姿勢を見せ、結局、定年退職という形で決着がついたのも、防衛省に懲戒を強行するだけの正当性がなかったからだ。
退職金を得られることから、この「処分」に不満を言う向きもあるけれども、そうした人は民主国家に住まう精神的な資格がないと断ずる。
右翼だからといって、何をされてもいいはずがないのだ。
今回の件で、田母神氏の個性や思想に私が支持を見出す余地は非常に小さい。
先に挙げた、戦後教育を批判した訓示においては、防衛省は積極的に処分をすべきであったとも思っている。しかしこの件では、防衛省がとった態度は政治的には妥当ではあっても、法的には疑問があった。
仮に、誰かしらがリンチを受けている場面で、リンチを受けている人の性格が悪いと指弾することが、たとえそれが事実であってもどのような効果を持つのか、考えないでいいはずがない。
田母神氏の思想や論文水準の是非を言うことと、田母神氏が処分されることの是非を問うことはまったく別の問題であるが、その両方に言及しなければ、結果的にどちらかを助長することになる。
そのどちらかのみを言っている人たちは、まったくもってどうしようもないというのが感想だ。
私が思うに、彼らは日本国憲法には値しない人たちである。