誰が違憲判決をもたらしたのか

国籍法改正に伴い、国籍法当該部分に違憲判決を下した裁判官に国民審査で不信任の意を表明しようとする向きもあるが、その意見内容の妥当性は別にして、最高裁の判断に対して国民審査で意思表示をしようとするのは正しく国民の権利であり、法治国家のありようである。
ただ、中には国民審査の対象にならない裁判官も「不信任候補」に含まれているようで、例えば国籍法違憲判決において多数意見を形成したひとりである今井功裁判官は2005年に既に審査を一度経ており、今後10年は審査対象とならず、70歳が最高裁裁判官の定年であることから、二度目の審査よりも前に退官する。
この人は立川反戦ビラ配布事件で、上告を棄却して被告人の有罪を確定させた裁判官であり、私としては言論の自由に多大なる悪影響を与えた裁判官だと評しているので、可能であれば国民審査のおりに不信任を投じたいと思い、以前、調べてみたのだ。
今井裁判官は他にも、袴田事件横浜事件の再審請求を退けるなど、私の評価としては「反動的」な姿勢が目立つ好ましからざる裁判官であるのだが、その人が国籍法の準正要件については違憲判断を示したわけで、リベラルから見て必ずしも好意的ではいられない裁判官にして、違憲判決を出さざるを得ないほど、国籍法の当該部分の違憲性は際立っていたということである。
立法権の問題も確かに生じるので、本来であれば立法府がこうした違憲性の強い部分についてはあらかじめ手立てを打っておくことが望ましい。
仮にそうした違憲性があったにせよ、国籍法第8条での救済措置は規定として存在していたので、行政がこの点に留意して慎重に運用していれば、この違憲判決を引き起こした訴訟は、訴訟化することもなかったはずなのである。
立法府の怠慢がなければ、行政府の横暴がなければ、司法府が尻拭いをする必要もなかったのだ。
違憲判決を非難するのであれば、なによりもまず、違憲判決を下さなければ違憲状態が改められもせず救済もされない状態を放置、あるいは作り出した、国会のこうした人権問題に無関心か敵愾心を抱く保守政治家や、不要なまでに他罰的な運用をなした行政官僚たちを非難しなければならない。
国籍法改正が仮に国賊的なものであるならば、その改正の原因を作った人権マインドに欠ける保守政治家たちこそが国賊である。
立法による問題の未然化に失敗し、行政による救済がなされていない時に初めて、司法の遡上に乗せられる傾向にある。
だからこそ、司法はより救済を強く意識しなければならないし、政治的な判断よりは原理的な判断に重きを置くべきである。
そしてその原理とは人権を尊重する観点から構築されなければならない。
判断において中庸を欠いたのはいったい誰なのか。
既に長きに渡って違憲性が指摘されていながら該当部分を放置してきたのは立法府だろう。
運用で救済しようと思えば出来たにもかかわらず、国外退去命令という該当者の事情にまったく配慮に欠けた態度をとったのは行政府だろう。
バランス感覚を欠いていたのはそうした人たちの方なのだ。
彼らこそが、違憲判決を引き出した人たちであり、国籍法改正を不可避ならしめた人たちである。