フーシェ亡き後

シュテファン・ツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ」は愛読書のひとつで、彼の伝記文学の中でも最高の作だと思う。
悲劇性、ヒロイズム、歴史上の人物に私たちが何がしらの感情を重ねる時、そうした共感する礎が往々にして必要になるのだが、フーシェにはまったくそうした要素は無い。
そうでありながら、「ジョゼフ・フーシェ」が傑出した作品になっているのは、彼のような人物を産む歴史そのものへの眼差しがツヴァイクにあるからである。
ツヴァイクと言えば、「マリー・アントワネット」や「メアリー・スチュアート」を挙げる人が多いだろうがあれなどは私から見ればいかにもキャリアのために書いたごく通俗的な作品に見える。
あんなものは西洋史科を出た日本人女性にでも書かせていればよい。どうせ書くならばまだしもエリザベスを書けば良かったものを。
昨日の世界」の筆者に相応しいのは何と言っても「ジョゼフ・フーシェ」である。
日本の歴史小説で欠けているのはこの部分だろう。
岩倉具視や田中清玄、田岡一雄、池田大作を取り上げた人口に膾炙した冷徹な伝記がないことが、この国の欠落の表れであるように思う。
逆に言えば後進にはまだまだ宝の山が眠っていることを意味するが、まずはそれを宝と認識し、認識させる力があるかどうかだ。
ナポレオンほどの絶対権力を握った独裁者にしてフーシェを排除するには位倒れにするしかなかった。警察、というより公安を握ったフーシェは、情報の中枢の書記局を掌握することで権力を掌握したスターリンにどこか似ている。
フーシェスターリンの前例がありながら、20世紀のアメリカで似たような人物であるエドガー・フーヴァーを生じせしめたのは人がいかに歴史に学ばないかの証左であるようにも思う。
ひとたび公安官僚がフーシェ化した時に生じたのは、誰も排除できないアンタッチャブルであった。
エドガー・フーヴァーが捜査局長官に就任したのが1924年のことだから、共和党のクーリッジ政権下のことである。
以後、大統領はハーバート・フーヴァー、フランクリン・ルーズヴェルトトルーマンアイゼンハワーケネディ、ジョンソン、ニクソンと移り変わりながら、彼はFBI長官であり続けた。
スポイルズシステムの発達したアメリカの政治制度において政府高官がこれほど長く同じ職にとどまる例は他にちょっと無い。
政府からの高度な独立が求められるFRB議長が在任が長くなりがちなくらいだ(グリーンスパンは約20年間、同職にあった)。
もちろん一人の人間を長期にわたって機密を収集する地位に置くことの危険は多くの人が気づいてはいたが、気づいた時にはもはやどうにもならなかった。
汚れ仕事を苦にせずなす者は、定期的に必ず使い捨てにしなければならない。
ワシントンでは誰も、フーヴァーを敵に回すことは出来なかったのだ。
恐怖と猜疑の均衡の上に成り立った「フーヴァーによる平和」が20世紀半ばを彩るアメリカ政治の裏の素顔であって、この恐怖からの解放は、ニクソン政権下、1972年にフーヴァーが死去することによってようやくもたらされた。
ケネディニクソンはもちろん1960年の大統領選挙のライバルであり、出自も思想信条も対称的である。しかしごく似ている部分もあって、手法としては極めてダーティでありながら強烈な国家意識を持つという、やや倒錯的な使命感を持っていたのは疑いようもない。
フーシェ的なるものとの共存を許容できないのは、こうした国家意識を持つ者だけである。
そしてひとりは暗殺され、ひとりはアメリカ史上最も不名誉な表舞台からの退場を強いられた。
これはおそらく偶然ではない。
彼らは歴代の中でもFBIを締め付けたと言う点では抜きん出ている大統領なのだ。
ディープスロート氏が死去したと言う。

ウォーターゲート事件の「ディープ・スロート」氏死去

 【ワシントン=黒瀬悦成】米連邦捜査局FBI)の元副長官で、1974年にニクソン米大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件の内部情報を提供し続けた謎の情報源「ディープ・スロート」であることを2005年に公表したマーク・フェルト氏が18日、米カリフォルニア州サンタ・ローサ市内の自宅で死去した。95歳。

 同市の地元紙「プレス・デモクラット」(電子版)が同日伝えた。

 同紙によるとフェルト氏は、うっ血性心不全を患っていた。「ディープ・スロート」がワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両記者によるウォーターゲート事件の調査報道に協力した様子は、両記者の著書「大統領の陰謀」で詳しく伝えられ、その正体は長らく「米メディア界最大の謎」の一つとされてきた。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081219-OYT1T00618.htm

ウッドワードらの仕事は確かに尊敬に値するものだったが、物語を越えたところに歴史はある。
20世紀については今なおいろいろやり残した宿題があるものだ。