首相公選制

首相公選制にした場合、議会の選挙制度大選挙区制にするのは、必須とも言える。
仮に、現在の憲法をベースにして、首相だけを公選制にした場合、議院内閣制は廃止されるばかりか、現状では首相は解散権を持ち、内閣は法案提出権と政令制定権を持つ以上、行政権力がバランスを欠いてまで拡充されることになる。
現在の法学上の定説、運用は別として、日本国憲法の基本設計思想が、法学上の用語で言うならば、責任本質説に立っているのは条文からも経緯からも自明であり、フランス革命時の国民公会のような、議院専制を是としていることを踏まえれば、単に首相公選制だけを導入するのはそれは大統領制への移行であるばかりか、先進国でもフランスにしか例のない、非常に強力な大統領権限を持った独裁的な半大統領制への移行になり、日本国憲法の基本設計思想からはほぼ正反対の状況を招く。
ただでさえ行政府権限は肥大化し易いのに、首相に事実上の独裁権を与えていいのかという話である。フランスの場合は、ド・ゴールがああでもしない限り、アルジェリア独立をめぐる事実上の内戦を乗り切れなかったという特殊な事情があった。
逆に言えば、内戦状態を強引に終結させるほどの強大な権限を与えかねない案が現状の議院内閣制をベースにしたうえでの首相公選制である。
フランスは元々は議院内閣制の国で、それをベースにして、大統領制の制度に変えたために、行政府が立法府に対する権限の侵食や掣肘する機能を持ちながら、立法府のコントロールは受けないという、ごく特殊な政治制度になってしまった。
では、アメリカ型の厳密な三権分立型の大統領制がいいのかと言うと、あれはアメリカでしか成功していない政治制度だ。
普通に見れば、あれが成功するはずがない制度である。アメリカでうまくいっているのは実に奇跡的であり、アメリカの土壌、風土の中でしか成立しないものであって輸入は不可能である。
現状の日本の状況と比較して考えればいい。
内閣に法案提出権、政令制定権が無くて、どうして統治が可能なのか。
しかも内閣と議会多数党が分裂していたとして、どうして統治が可能なのか。
政治とは法律である。
その法律を制定する権限が一切なくて、どうして行政府が政策を遂行できるのか。
アメリカの場合は、三権分立でありながら、実際は三権が共同して政府を作り上げるという文化、意識があり、歴史にあってそれは形成されてきた。
しかし中にはたとえば、アンドリュー・ジョンソン政権のように、党派的な対立が激化し、なおかつ、与党と議会多数党が分裂していたような状況の時には統率力を失い、事実上の機能停止に陥っていた時期もあった。
アメリカの選挙制度小選挙区制度を採用しているが、これは本来、政党の権限が強まり、なおかつ少数党が駆逐される制度である。
大選挙区の最たるものであった、例えば日本の参議院の全国区制と比較してみればいい。
青島幸男などは、全国区で参議院議員に当選していたが、彼は党派に属することなく、かつ選挙活動をすることもなかった。
知名度だけで、当選したのだ。
究極の「個人力」である。
対して小選挙区制は地域住民の多数から支持されなくては当選できず、党の候補に選ばれなければ当選はおぼつかないし、選ばれたとしても、ごく少数の支持者からのみ支持されて一般の人から拒否感情を持たれるような候補は落選する。
小選挙区制になってから、日本でもずいぶん、「大物」が落選したことを考慮されたい。
従って、より党派的になりやすいはずの小選挙区制を採っていながら、超党派の動きがしばしばあるのがアメリカの特徴であり、制度と現実の矛盾である。
矛盾であるがゆえにアメリカの政治状況は奇跡的なのであり、他国には、容易には導入できないのである。
仮に大統領制、もしくは首相公選制を導入する場合、いかにして議員個人と党を分離するのかが課題になるのがここからも言える。
その場合に最も採用してはいけない政治制度が、小選挙区制であり、次善が比例代表制であり、最善が大選挙区制である。
小選挙区制は二大政党でなおかつ、党の拘束力が強まるので、大統領制度の下では議会と政府の対立を激化させる。
比例代表制は党の拘束力は強まるが多数党並立状態になるので、行政府は議会の中に協力者を見つけやすい。
大選挙区制は個人力で議員が当選するので、党の存在はほぼ無意味になり、是々非々での行動が可能になる。
その意味で、首相公選制と同時に大選挙区制導入を掲げるのは、一応は筋が通っているが、問題はあって、これでは首相が一強他弱になりすぎて、独裁状態になりやすいということである。
統率力強化と独裁回避のバランスは常に問題なのであって、議院内閣制はそこのところが実にうまくできているので、変える必要はないと私は思う。
次回は大選挙区制の長所と短所について考えてみる。