大選挙区制

先日の記事で指摘したように、選挙制度は単なる制度の問題ではなく、その国のかたちを変える重大な選択になる。
大統領制(首相公選制)を採るにしても、議会選挙がいかなる選挙制度で行われるかによって意味がまったく違うのだ。
国家制度(君主制/共和制、議院内閣制/大統領制)、議会制度(一院制/二院制)、それらと並んで選挙制度は国のあり方を決める致命的な要素であり、本来、憲法で規定されていてしかるべきだと思う。
その憲法にしたところで、少数意見の反映具合に応じて、軟性憲法であってもよいのか、硬性憲法でなければ危ういのかが違ってくるし、少なくとも基本的人権の規定部分については、特にその考慮がなされるべきだろう。
私は現在の議院内閣制、かつ二院制という政治制度において、衆議院小選挙区比例代表並立制をベースにするのは、意見の集約と少数意見の尊重という両点のバランスにおいて妥当だと思う。
選挙制度改革の時に私もいろいろと考えたが、少なくとも優越する議院においては、この制度はベターであると思う。
かつて日本の衆議院は小規模な大選挙区制である中選挙区制を採っていたのだが、これはその定数によって、性格が若干異なってくる。
最も小さな大選挙区である定数二の選挙区と、最も大きな大選挙区である全国区を比較して考えれば、定数二は限りなく小選挙区に近く、ひとつの政党が候補をふたりはなかなか立て難いので、候補はその選挙区で唯一のその政党の候補になり、党の拘束力が増す。
一方、全国区で選ばれる場合、全国からまんべんなく票を得て当選したある程度の知名度がある候補の場合、それ以後、落選する方が難しい、つまり現在の議席であれば480位以内に入ればいいのだから、それこそ選挙活動をしなくても当選するので、党にはまったく依存しないのである。
定数がおおよそ三から六の中選挙区の場合、その中間になり、党の拘束力は小選挙区制よりは弱まるものの、党内派閥が力を持つことになる。
だから大選挙区制を採用するといっても、どれほどの定数の選挙区を想定するか、実態はまったく異なってくるのだ。
小泉元首相は以前からの中選挙区制論者だから、氏の言う大選挙区制とは旧来の中選挙区への復帰と考えてみると、派閥政治の解体を唱えた氏の一方の政治姿勢とは矛盾するスタンスである。
小選挙区制度は少数意見を切り捨てる選挙制度だが、中選挙区制は多数意見を反映しにくい選挙制度である。
ごく少数の支持者のもとに当選をした利権政治家が淘汰されにくい制度であって、より多数の人がその政治家を落選させたいと思ったとしても難しい。
例えば人口が180万人程度の中選挙区、定数五議席を例に考えてみよう。
有権者はうち120万人程度とし、投票率が70%だとすれば有効投票総数は約80万票になる。
定数は五議席なので、16万票以上を獲得すればほぼ確実に当選する。
しかし実際には上位当選者はそれ以上を獲得するので、下位当選者が獲得する票数は更に下がる。
上位当選者4名が有効投票のうち3割、2割、2割、2割を獲得した場合、最下位当選者は残りの1割の過半数を獲得すれば確実に当選することになる。
この例で言えば、4万票である。
しかし実際に必要なのはその中での相対多数なので、更に複数の候補で票が分かれた場合、それこそ1万票程度でも当選は可能になる。
仮に4万票獲得したとしても、人口比で言えば、たったの2.2%である。
それだけの支持者を囲い込み、他のすべての人を敵に回したとしても、当選するのであって、それがつまり、汚職や利権政治などで一般有権者の反発が非常に高いにも関わらずそうした政治家が当選してきた理由であって、逆に言えば小選挙区制になってそうした政治家が落選したり、かつてのような磐石な選挙を戦えなくなってきている理由でもある。
道路工事などの利権は利権に預かる者を生み出し、それはその政治家の支持者になるが、すべての人に利権をもたらすことはできない。必ず地元で利権に預かる者とそうではない者の格差をもたらし、しかも預からない者の方が圧倒的に多い。
支持者に利権を回して当選するようなやり方は小選挙区制の下では通用しないのであって、選挙区全体の利益のために、より抽象度の高い利益のために尽くさない限り当選はおぼつかないのである。
つまり、一般に言われるのとは逆で、小選挙区制はより広い全体の利益のために働く政治家を生み、中選挙区制は狭い範囲内での利権政治家を温存する。
この一点からも、中選挙区制は妥当とは言いかねる選挙制度なのである。