小泉元首相、一院制に言及

 小泉元首相らが主導する自民党議員連盟「衆参統合一院制議連」(衛藤征士郎会長)が16日、党本部で会合を開き、一院制の創設や「大選挙区制」の導入を、次期総選挙の党マニフェスト政権公約)に盛り込めるように検討を進めることを決めた。

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 小泉氏は会合で「一院制だけを問うて憲法改正するのもいい。自民党が衆参統合して一院制にするという原動力となってほしい」と語り、党内論議を加速する必要があるとの考えを示した。

 一院制により、国会議員の定数を3割削減。さらに小選挙区制を見直して都道府県単位の「大選挙区制」とし、2019年以降の選挙から施行できるよう検討する。

 これに関連して麻生首相は同日夜、首相官邸で記者団に「国会改革については常に考えておいてしかるべきだ。憲法は二院制が書いてあるので、(一院制の議論は)憲法改正と直結していく話。幅広い議論がなされればいい」と語った。

http://www.asahi.com/politics/update/0116/TKY200901160296.html

一院制は議院内閣制を強化する意味では望まれる策ではあるが、ただ、このあたり、どこまでシステム上の問題意識が共有されているかは分からない。
この議連の衛藤征士郎会長が別途説明しているのを聞けば、同時に首相公選制も念頭にあるようで、首相公選制とはつまり大統領制に他ならないから、大統領制になれば二院制(少なくとも現状の国際的な水準から見ても過剰に権限が強い参議院)を廃止するシステム上の要請自体が無くなるのである。
また、先の記事で示したとおり、行政府の長を公選している国は、先進国の中ではごく僅かであり、特異な例であることから見て、大統領制の持つシステム上の欠陥をどうするのかという問題が新たに生じることは避けられない。
こうした辻褄の合わない主張は、結局、単に参議院が現在、野党の牙城であることから、言っているに過ぎない党派的な言動だととられることになり、本来の問題を覆い隠すことになりかねない。


小泉元首相は郵政民営化について、参議院に対するコントロールの効かなさにほとほと辟易したのだろう。衆議院に対してはありとあらゆる批判を無視してのけた彼にして、参議院に対しては当時の青木参議院幹事長の意向に沿った人事を行わざるを得なかった。
資質においてもスター性においても欠如した南野知惠子参議院議員法務大臣に押し込んだのは、青木氏の順送り人事に沿った形であり、首相の参議院に対する無力さの現れだった。
その中で一院制志向も生じたのだろうが、一方で首相公選制を言うのであれば、システムに対する理解が低いと言うしかない。
実際問題として現状では参議院が野党の力の源泉になっているため、現状では野党が一院制に同意する可能性は少ない。憲法改正というハードルもあるのであればなおさらである。
野党が同意するとすれば、彼らが与党になり、なおかつ参議院で彼らの反対党が多数党を占めるという経験が必要なのであって、今はまだその前提がない。
郵政選挙後の与党の横暴を言う人は、その「横暴」が民意の支持を得ているということを考慮していない。しかしそれで言うならば、両院でのねじれもまた民意の結果であって、ふたつの異なる民意の対立の問題がつまりはシステムの問題である。
実際には、このねじれを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは、システムの問題として考慮されているのではなく、単に法案に対する支持/不支持の立場から言われていることがほとんどだ。
つまりある法案(例えば自衛隊の海外派遣法)に反対であれば、それを支持する与党が衆議院での多数を頼みに強行採決をすれば、横暴だと感じるだろうし、参議院の反対によってそれが阻止されればチェック機能が働いてよかったという感想になる。
だが、例えば政権交代が起きて、民主党が仮に大規模な福祉政策を打ち出したとして、その時、自民党参議院で多数を占めていて、貧乏人にカネを使うなとばかりに抵抗を示せば、それをチェック機能と捉えられるかどうか。
問題になっているのはそういうことなのだ。
政治を党派的な視点で捉える人が多い現状では、特に後者の状況が生じない限り、システムの問題を喫緊の問題として意識として共有は難しいだろう。
小泉氏は元首相としてある程度、党派を超えたステーツマン的な役割を果たす余地があったが、息子を後継者に押し込んだことから、一貫性がもつカリスマはすでに失われた。