政党と小選挙区制

中選挙区制を採っていたかつての衆議院で、唯一、小選挙区だったのが奄美全島区であり、奄美大島を選挙区としていた。
そこでは有力な二候補が熾烈な選挙戦を毎回展開しており、小選挙区は腐敗と党派対立を招きやすいとの認識が一般に流布する原因ともなった。
しかし選挙戦が熾烈になるのは、結局のところどの選挙制度でも同じことであって、小選挙区の場合、その選挙区の人口規模自体で事情がかなり異なってくる。
人口が100万人の小選挙区であれば、その過半数を制するには、より抽象的な支持が必要になってくるが、人口が1万人の小選挙区であれば、利益誘導型になりやすいのである。
考えてみればわかることだが、例えばかつての奄美全島区が定数が二であれば、有力二候補が安住するだけであり利益誘導型の政治体質は変わらない。
奄美の問題は選挙制度の問題というよりは、もっと別種の政治風土や政治家個人のパーソナリティの問題であって、同様のことは他の中選挙区でも起きていたのである。
人口100万人程度をひとつの基準として小選挙区を設定する場合、濃厚な支持者だけでは当選がおぼつかなくなるのは自明である。
ライトな支持者を当選するためには取り込む必要があり、そのためには全体の利益に立つ政治家である必要があり、その証明のひとつのてだてとして、政党のプレゼンスが大きくなるのである。
渡辺喜美・元規制緩和担当大臣の造反に他の議員が呼応しないのは、それに呼応したところで民主党が独自の候補を取り下げる見込みがないからである。統一野党候補にでもならない限り、当選は難しい。
つまり、自身の後援会組織だけでは当選が不可能だということであり、利益誘導型の政治が小選挙区制の下では難しいことを示している。


政治を利益誘導型とは違った、全体の利益を最重視するものに変えるために重要なのは選挙区の広さではない。重要なのは当選するために必要とされるパーセンテージである。
どれだけ広範囲の、利益も立場も異なる人々から支持を集められるかどうかが問われる。
より少ないパーセンテージで当選可能性が増せば増すほど、利権政治家には有利なのであって、利権から外れた無党派層の重要性は小選挙区になればなるほど増す。
小選挙区制への批判への最たるものとして、少数意見の切捨てであるというものがあるが、その少数意見とは中選挙区制時代にはしばしば利権共同体と同一だったのであり、より多数の、全体の利益を重視する無党派層の立場が非常に弱められてきたのだと言える。
ある政策を推進したい場合、推進者は良いことしか言わない。
三者にはメリットとデメリットを冷静に勘案することが求められている。