グラスリー上院議員いわく、「日本人なら死を選ぶ」

公的資金がつぎこまれたAIGで、経営陣に多額のボーナスが支給されていた問題で、グラスリー上院議員が恥を知れと言う文脈で、「日本人なら自殺してるよ」と言ったという。
これについて、はてなブックマークYahoo! 知恵袋などを見ていると、日本ではネガティヴな反応が多いが、新渡戸稲造以来、主に日本側が働きかけて形成してきたサムライ伝説に沿った流れの発言だと思う。
ラスト・サムライ」を観て、渡辺謙ブラヴォと言っていたような人たちが、ことさらこの発言をどうこう言うのもお門違いな感じがする。
乃木の殉死は、あくまで彼の遺書によれば西南戦争時に軍旗を奪われたことに対する自裁であったのだが、殉死であれ自裁であれ、当時の日本人にとってさえキチガイ沙汰であった。
それをキチガイ沙汰だとするのが、日本人の常識であったのだが、その常識を覆い隠して、宣伝材料として用いてきたのも日本人だった。
その文脈を真に受けた外国人が、その文脈に沿って日本人を解釈したとして、何が不思議なことがあろうか。
上院議員たるもの、モノガタリと実質の区別もつかないとなれば、それはそれで問題はあろうが、それはアメリカ国民が判断することである。
美食をすれば太るのと同じことだ。脂分たっぷりのステーキを食っておきながら、体重が増えたと文句を言うことほど馬鹿馬鹿しいことはない。
http://thecaucus.blogs.nytimes.com/2009/03/17/grassley-aig-should-take-its-medicine-not-hemlock/?scp=1&sq=grassley&st=cse
ニューヨークタイムズの当該記事のコメント欄を読めば、日本人がどうこう思わなくとも、日本人のことはほとんどフォーカスされていない。
上院議員に好意的なコメントも多いが、焦点になっているのはむしろ AIG の経営責任と具体的な対処方法だ。
日本については、例のサムライ伝説にのっとった「好意的」な美しき誤解が書かれているだけである。
問われているのは私たちがどうするかである。
サムライ伝説を今後も利用していくのか、きちんと説明してゆくのか。サムライ文化が根ざす抑圧的な部分についてもきちんと説明してゆくのかということである。
何であれ、いいとこどりは出来ない。