タイ騒乱

タクシン元首相が追われて以来のタイの騒乱を見ていて、私は田中角栄のこと、そして堀江貴文氏のことを思い浮かべていたのだが、どんぴしゃでご当人がブログで記事を書いていた。
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10242905605.html
よく「庶民」と言うが、庶民の中にも既得権益を持っている人もいればそうでもない人もいて、そこにフォーカスすれば分断統治だどうだと言われるのだが、たいしたことのない既得権益であっても、庶民であればなおのこと、そのたいしたことのない程度の権益の有無が、時に生きるか死ぬかほどの明暗をわけてしまう。
土地持ち家持ち墓持ちの田舎の庶民に対抗して、創価学会が都市貧困層を中心に支持を広げてきた理由も意味も、「庶民の分断統治」のみを問題視する視点に立っていては見えてこない。
タイの騒乱も、首都バンコクで起きてはいるのだが、タクシン派も反タクシン派も同じバンコク市民とはいえ、そうした「瑣末」な権益によって分断されているのだろう。
ただしそれを「瑣末」と呼んでいいのは、持たない者の側だけである。持てる側がそう言うのであれば、当然のことながら、ならばその特権を手放せ、あるいは平準化をすすめるために負担を負えということになるだろう。
2006年のクーデターはまさしくクーデターであって、法理的にどちらが悪かと言えばこれはもう絶対に反タクシン側が悪い。
しかもその後、タクシン派は総選挙で勝利しているのであって、どっちもどっちではなく、民意と法秩序を尊重するならば、国王はタクシン派に加担するべきであった。
しかしそうはしていない。事実上、反タクシン派の後ろに控えている。これはタイ王政の歴史的な汚点となり、タイ王室の信用の失墜となるだろう。
そうした王室は革命でもって葬られかねないし、私はそうなってしかるべきだろうと思う。
この金融危機下における重要な首脳会談も満足に開催できないとは、これはどう見てもタイ国家の失態であり、無責任である。
国際社会は今後長らくタイに重要な地位を与えるようなことがあってはならないと思う。
ただ、タイ国内のことはしょせんタイ人が決めることであって、私が考慮したいのはタイ王室と皇室の親密な関係である。
国と国との付き合いだから、タイ王室がどうであれ、交流があってしかるべきではあるが、個人的なレベルでの交流が今後、皇室とタイ王室との間で繰り広げられるのは好ましいことではない。
それは例えば、ピノチェトなどと皇室が個人的な交流を持つようなものである。
タイ王室はそのレベルにまで堕してしまった。
皇族は個人であるばかりでなく、日本国を代表する立場にあるのだから、対人の親疎も日本国の国益と主張を反映したものでなければならない。
タイ王室は今後、個人レベルの交流ではペルソナ・ノン・グラータとして処理されるべきで、それは法治からの逸脱を日本国は歓迎しないという意思表示のためには、不可欠なことである。