フィールドワークとしての人生

私は不寛容な人間だから、ただ生きているだけでもいろいろ腹がたつことが多いわけ。
つまんないことでいちいち腹をたてても馬鹿らしい、自分が疲れるだけだってのは分かってるわけ。
じゃあ、それが分かっているからと言って、腹をたてないかと言えばやっぱり腹はたつわけ。
「うほほほ、そなたも若いのー」なんて言われると、「てめーはただトラブルを避けたいだけだろうが、チンカスじじい」となおのこと腹がたつわけ。
でも、腹がたつからと言ってそれをいちいち顔に出していたら社会人として生きていけないわけ。
じゃあどうやって、(自分のために)なるべく腹をたてずに済むかを考えてみて、おお、これは効果があった、という話を書く。


それはデータをとること。
例えば、車を運転していて、流れを無視した運転をしている車を見た時に、誰が運転しているか(性別、見た目の年齢など)、どういう車種に乗っているか、等々を記録する。
一個一個は単なる「不愉快な出来事」だが、まとまるとなかなか面白い資料になる。不愉快な出来事も、貴重なデータだと思えば、むしろ遭遇できたことを嬉しく感じるようになる。


人間関係の深みに嵌ってしまって、どうにも身動きが取れない時にもこの手法、メタに落とし込む行為は有用だと思う。例えば、上司に苛められている時。
先日、佐川急便で、上司のパワーハラスメントにあって部下が自殺したという事件があった。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1279289.html
これなんかも、表沙汰になれば、圧倒的に会社側に分が悪い話であって、会社の外にも社会はあるのだから、よりメタな視点から対処すれば、死ななくても良かったのにと思う。
「原因を分析する」「自分の要求を明確化する」「対処を考える」
例えば、「かくかくしかじかの理由であなたの行為はパワーハラスメントにあたると思います。対応を改めて下さい」と言っておけば、それを言ったという事実は残る。それはより、メタな視点、社会的な視点から、事実、と認識されることである。
そのうえで状況が改善されない場合は、
「会社側はパラーハラスメントと認識していない」
「認識しているが敢えてやっている」
ということになり、次はこの絞られた事実の検討とそれに対応する対処が焦点になる。
大方はそれを突き詰めてゆく過程で、何らかの形で解決してゆくはずだ。