多分フェミニズムは他者の痛みなど気にしない

気にしないと言うよりは「出来ない」。これはフェミニズムに限った話ではないけれど。
人の属性はひとつではないから、ある属性を抽出してその属性に対して「福祉」を行った場合、その境界部分では必ず「制度による逆進」が生じるのである。
ある属性が被る不利益を是正しようとする場合、当然、その属性のみにフォーカスを当てることになるから、「制度による逆進」に意識的に鈍感にならなければ、フェミニズムであれ何であれ、政策的には成立できなくなる。
であるから、「弱者」である女性の地位を向上させようとする運動は、すべての「弱者」に対して優しくはないし敵対的ですらある。これは繰り返すが別に女性学に限った話ではない。
そういう意味では福祉はすべて「逆進性」を持つ。
痴漢冤罪の問題などはこの逆進性が顕著に現れている現象であって、そのような事例に対して、フェミニストが痴漢冤罪被害者の利益擁護にフォーカスする活動を行っているかどうかを見れば、フェミニズムがすべての弱者救済を志向する、それらを理解する助けになるなどとは、感想を言えば、頭がお花畑でない限り出てこない見方だろうと思う。
私は基本的にはこの世界はゼロサムゲームであると思う。


例えば、この種のフェミニズムによって生じる逆進を指摘する意見に対して、現にそれによって不利益を被っている人がいるにも拘らず、
・男の癖にみっともない(伝統的ジェンダーの破壊を主張しているにも拘らず伝統的ジェンダーを持ち出す)
・現実に女の方が社会的弱者なのに倒錯的だ(属性の別の切り方もあることを考慮していない)
と言う人たちがいて、良い悪いは別にして、単に論理矛盾を起こしているか、論理的思考が徹底されていない。


現に何らかの福祉を行おうと思えば属性で仕分するしか他に方法はないわけで、「逆進性」が生じることがただちに駄目だとは言いがたいが何事も程度問題である。
こうした属性を理由とした優遇は、いずれの主義であれ、目的ではなく手段であることを理解する必要がある。フェミニズムが妥当であるかどうかは状況次第であり、フェミニズムはその状況を考慮する機構がビルトインされていない。
状況を考慮するためには、イデオロギーの外部に出なければならない。
もし、より抽象的な人類全体の福祉の向上を目的としてフェミニズムを利用するのであれば、フェミニストであると同時に、それを抑制する視点を同時に持たなければならない。
純粋にフェミニストであることは、純粋にファシストであること、あるいは純粋に新自由主義者であることと同じである。
忌避すべきは、その純粋さである。