小渕優子問題

衆議院選挙が公示される直前の今日、世襲議員の問題について改めて書いておこうと思う。
自民党の劣勢が伝えられる中、幾つかの選挙区にはそれでも鉄板の自民党候補がいて、そのほとんどが世襲議員である。何ら実績もなければ、政策をアナウンスすることもない横須賀の小泉進次郎氏などはその家名ゆえに新人ながら当選が確実視されていて、このままいけば縮小した自民党に残るのは世襲議員だけということにもなりかねない。
このことは世襲議員の「強さ」として見るべきなのだろうか。
一方で世襲議員ながら、落選が確実視されている候補も多数いて(名前は挙げない)、このことは世襲議員の存在がむしろ党の得票を減らす結果になっているとも見て取れる。
仮に、世襲議員が選挙区の票の過半数を獲得して当選したとして、そのうちわけがどうなっているかによって、明暗が分かれるようだ。
世襲議員の多くは、基礎票を持っているとしても、獲得票のうち党によって得られたものもあるはずである。横須賀市に在住する自民党支持者は世襲議員に反対であっても、自由民主党の候補に投票したいならば小泉進次郎氏に投票するよりないわけで、その票は小泉氏が獲得する票というよりは党が獲得する票である。

a=世襲候補の基礎票
a´=反世襲候補票(世襲候補の対立党に投票する)
p=党の票
p´=党の反対票

とした場合、世襲候補が当選するのは、

a+p>a´+p´

の場合である。
つまり、世襲候補が落選する場合、
1.党への逆風が強まった
2.世襲への逆風が強まった
のふたつの原因が考えられ、仮に党への逆風が本来、それほどでないとしても、世襲を容認すれば反世襲票の増大に加えて、世襲を容認する党への逆風が強まり、「党の候補者」が落選するということになる。
これだけの逆風の中でも当選してくるだろう世襲議員だけを見れば、その議員は「a+p>a´+p´」の構図の中で当選してくるのだから、世襲議員は強い、という感想になるだろう。
しかし、選挙全体においては、「a´」という余分なマイナス要因を抱えることから、それは党の敗退を招くのである。
まして衆議院選挙は比例区でも行われるのだから、仮にある選挙区で世襲候補が当選したとしても、党勢全体を弱体化させる原因となるのである。
それは、

a´>a+p

自民党支持者が多数いるからである。本来、自民党を支持する人であっても、世襲に反対し、それを強く要求として持っている人は、民主党に投票するのである。
そしてその批判票は単に世襲にとどまらない。
世襲に代表される社団への批判票であり、世襲は社団批判と明確に対立がするゆえに、社団批判票が増大しているならば、全体として世襲を容認する自民党に勝ち目はないのである。


自民党の敗退は既に確定的であるが、自民党が野党となった時に、現在の民主党のような「力強い野党」になれるかどうかが、今後の復活のキーになってくるが、この点も難しい。
なぜならば、生き残る自民党代議士の多くは、より強力に社団化している世襲議員であり、反社団票の多くは民主党に吸収されるために、自民党はより純粋な「社団党」になることが見越されるからである。
そもそもこうした自民党の退潮が起きていること自体、社団モデルからの脱却が既に確定的なパラダイムシフトとして生じているということであって、酸素が増大する世界にあって嫌酸素性生物が繁栄することはあり得ない。
自民党がこれまで長きに渡って繁栄してきたのは、「鵺のように変貌する」その融通無碍さにあったのだが、ついにはその最大の長所であった「節操の無さ」も失おうとしている。
自民党にとって今回の衆議院選挙は、社団を軸として、より純粋な社団政党となるための「スターリン粛清」となる。
戦後の共産党のように、ブティック政党としての生き残りは可能かも知れないが、国民政党としてのアイデンティティは失う。


縮小するだろう自民党が復活するとすれば、自らが拠って立つ支持基盤を自らが破壊できるかどうかにかかっている。前回の郵政選挙の時に小泉首相が国民に語ったように、
「政治は支持者のために行うのではなく国民全体のために行う」のである。
あの言葉はまさしく、小泉政権が志向していた国民国家モデルの提示であった。その後、彼の後継者や彼自身がその言葉を裏切った結果として、今日の苦境があるのだ。
より純粋な社団政党となるだろう自民党が社団を否定できるかどうか、そこに自民党再生の鍵はある。しかしそれは非常に難しい。その理由は既に述べたとおり、生き残る代議士はより純粋な世襲議員だからである。


小渕優子少子化担当大臣は元首相の娘であり、その地盤を引き継いで政治家となった。
彼女は学部時代はそれほど高レベルではない大学に通っていて、その大学からTBSに入社することはかなり難しいがそれを果たしている。
実際のところは分からない。放送行政に影響を持っていた父親のコネクションが働いたのか、彼女自身の実力の結果であったのが、本当のところは分からないが、李下に冠を正さず、疑いを持たれる状況を作ること自体、政治家として問題がある。その当時は政治家でなかったとしても、「迂闊さ」自体は生じるのだから、彼女が生来、政治家には向いていない人であるとは言えると思う。
要は彼女が(学部で)早稲田なり、東大なりを出ていれば避けられる誤解なのだから(仮に誤解であったとして。私は誤解だとは思わないが)政治家を志すのであれば避けておくべきである。
父からの地盤・看板・鞄を継いで、選挙区で当選して、議員となってからも、父の友人たちに抜擢されて異例の出世を遂げてきた。
ついには国務大臣であるが、彼女の職務内容についてピントのずれた発言もあり、「コネで引き上げられた人」との印象を払拭するには至っていない。
彼女はやがて来る「野党自民党」の性格を代表する人物になる。自民党小渕優子党になるのである。
負の面において、自民党を代表する彼女だから、彼女が変われるかどうかが逆に言えば自民党にとっても重要になってくる。
彼女は自身の(と言うよりは父の)支持者を切り捨てられるのか。
小さい頃から「優子ちゃん」と可愛がってくれた地元の商工会の人たちを敵に回せるのか。
あるいは選挙区を変えて出馬できるのか。
自己批判が出来るのか。
私は無理だと思う。自民党はその結果、小渕優子党として小さくまとまってゆくのだろう。