歴史的使命を終える小選挙区制?

2009年8月30日投開票の総選挙について、報道各社の中間世論調査が出揃った。それらに拠れば、一致して、民主党の300議席を越え、自民党は150議席を割り込むとの予想が出ている。
私はあらゆる問題に先がけて、政権交代こそが最重要の政治的課題であると思っている。死を獲得できない種に繁栄は無いのだ。
政権交代は民主主義にビルトインされたメカニズムとしての死であり、これなくして民主主義は機能しない。
だから、2005年の総選挙を除いて、私は一貫して野党第一党に投票してきた。そしてその度に、「裏切られた」経験を持つ。今でも忘れがたいのは、2003年の衆院選挙で開票報道が始まるやいなや、日本テレビ民主党が「政権交代可能」ペースで票を獲得との「大誤報」をやらかしたことである。
以来、私は世論調査における民主党支持率はやや割り引いて見るようにしている。
しかしそれでも、おそらく第一党確保はもちろん、政権交代可能な議席数程度は民主党は既に固めていると今回は見てもいいだろう。
私にもやや安心が出てきて、今回は小選挙区ではむしろ自民党候補に投票しようかとも考えている(まだ決めていないが)。民主党候補の当選はもはや疑いようが無いので、自民党候補がそれなりの票を獲得すれば比例復活できるかも知れない、そうなればうちの地元から代議士をふたり送り込むことが出来るからである。
もっともこのようなすけべ根性を出す有権者が増えれば、当初の目論見どおりにはいかなくなるので、まだ一週間あるので今後の展開次第である。


さて、仮に民主党が300議席を越える、それも320議席に達するようなことがあれば、前回の郵政選挙に続く、「極端な結果」となるだろう。そうした「極端な結果」を導き出すのが小選挙区制とは言え、日本の場合は比例代表制を並立しているにも関わらずそのような結果が出るとなると、日本の風土の特殊な事情を踏まえて選挙制度について考察する必要が出てくるだろう。
英国は単純小選挙区制を採っているから、選挙結果は更に極端になるはずだが、それが案外そうでもない(もちろん比例代表制に比較すれば遥かに極端なのだが)。
英国の下院の現在の定数は650前後、うち、それぞれ150議席程度は保守党・労働党が基礎議席として事実上確保している。
選挙区が出来て以来何百年も、ここはずっと保守党が確保している選挙区、あるいは労働党が確保している選挙区、というのがそれぞれ150議席程度はあるということで、この「固定議席」が流動性の中で継続性を維持する機能を果たしている。
英国の代議士は、だいたいオックスフォードやケンブリッジにある政党クラブから政治活動を開始し、若手のうちは、敵の鉄板選挙区で立候補し、鍛えられる。そこで当選することはまずないが、善戦したり、政治的才覚を表すようになれば、「これは使えるタマだ」ということになって、勝つ見込みがある選挙区に回される。そこで勝利を収めれば、将来の幹部候補として、自党の鉄板選挙区に回されて温存される。
マーガレット・サッチャートニー・ブレアも政治的キャリア形成にあってはそうした経緯を経ている。
「選挙区と候補者個人が結びついていない(自分党になっていない)」
「階級社会、地域主義が社会の流動性を抑制し、その結果、どのような情勢であれ確実に当選が見込める選挙区がある」
という英国の所与の条件によって、小選挙区が持っている「極端さ」が抑制され、小選挙区制度が実質的に機能する前提を作っていると言える。
こうした事例と比較すれば、日本が英国の政治状況よりもはるかに流動性が高いことは疑うべくも無い。
本来、民主党金城湯池であるはずの首都圏を前回の総選挙では民主党は失ったし、今回の総選挙では自民党にとっての「保守王国」の軒並みの瓦解が言われている。
極端すぎる流動にあっては、人材の継続性の確保が難しくなる。
政権交代を可能にするという一点において、小選挙区制は妥当であった。それが実現すれば歴史的使命としては一区切りついたと見なしてもいいだろう。
私は大選挙区制(中選挙区制)に戻すのはそれがマイナスの民意を反映しないがゆえに欠陥制度であると思っているので反対だが、比例代表制は考慮の余地がある。
この選挙が終われば、また選挙制度について議論をする季節が訪れるのではないだろうか。