天皇訪韓を巡る騒動

イ・ミョンバク韓国大統領が天皇訪韓招請し、それについての議論が海峡の両方で沸き起こっているようだ。
「歴史清算の保障手形」の認識は困る…「日王訪韓」に慎重論強まる - 東亜日報
これはむしろ、歴史問題にけりをつけたい韓国内保守派の「日韓関係重視」の姿勢によって発生しているのではないか。
国内法上はともかくとして、対外的には天皇は事実上、国家元首として処遇されている。
幾度となく韓国から国家元首である大統領が来日していることを踏まえれば、天皇訪韓が実現しないのは「非礼」である。しかしもちろん、それには双方の事情があってのことであり、その事情は今後も当面は変わらないだろう。
天皇訪韓すれば、何らかの形であれ過去の植民地支配に対する謝罪を行うのは避けられない。
日本の国内事情的に言えば、まず、これは天皇の政治利用ではないかと言う批判があるだろう。純粋に法的な地位で言えば、天皇は「国民統合の象徴」であり、国家や国民を代表する立場にはない。
すでになし崩し的にその歯止めは形骸化しているが、本来、政府が天皇の権威を利用した旧天皇制に批判的であってしかるべき左翼が与党となった以上、この種の政治利用についてはより慎重になると思われるし、また、そうであって欲しい。
仮に、天皇訪韓して、謝罪したとして、その謝罪が「不充分」であれば韓国人が納得しないだろうし、「行き過ぎ」であれば日本人の間に反韓意識が強まるだろう。
形だけではない、心からの謝罪でなければ、韓国人は決して謝罪と認めないだろうし、その「心からの謝罪」は韓国側のみの視点に全面的に屈するということだから、どのみち、日本人が「心から謝罪する」ことはあり得ないのだ。
仮に韓国側の視点に立ってみて、天皇訪韓・謝罪が行われたとする。その形式がなされたということに、一時的な満足は得るかも知れないが、その形式によってすべてを清算しようとする動きがおそらく日本人の意識には必ず出てくるはずである。
ラッド首相の原住民への謝罪、ブラウン首相の同性愛者への謝罪と同じく、謝罪という区切りによって、過去および現在の権益を保持し、一方で国家的な損失をほとんど負担しないという、「欺瞞の謝罪」となるだろう。
オーストラリアは原住民に謝罪はしても、侵略者である白人はなおもそこに居住しているし、本来、オーストラリア政府のものではない地下資源を略奪しているのだ。
逆に言えば、オーストラリア国家の存続という権益を維持するために、謝罪を行っているのであって、「帝国主義の反省」は帝国主義的な意図に基づいている。
それと同じ構図がおそらく日韓間の「歴史認識の問題」でも謝罪したとしても必ず生じるだろうし、「徹底的」な謝罪がなければ、おそらく韓国人は納得しない。
だが、仮に心からの反省を日本人がするならば、日本人の言い分に対して、韓国側が合理的な反論と説得を行う必要もあり、「他者には他者の言い分がある」という理解が韓国側に欠けているために、相互理解は難しく、「心からの謝罪」も難しい。
・形式的な謝罪
・それに基づく国際法の枠組みにおける補償
にとどめるべきで、日本側としてはすでに両方とも終了している。それを越えた普遍的な歴史そのものを遡上にするのであれば、「当時の世界における普遍的な国家行動の是非」「国家における侵略性の是非」そのものを検討せざるを得なくなるだろう。