日米安保とデジタルの罠

雪斎先生の「自分で食えない国」の分際を読む。何とも大袈裟な話だと感じる。
民主党政権の面々のうち、誰一人として日米同盟を否定している人はいない。当面、争点になっているのは普天間への基地移設問題だけで、もちろん軍事戦略上、決して小さい問題ではないが、日米関係全体の中で言えば one of them に過ぎないのも確かなことだ。
今回は特に、日本側で政権交代があったのだから、外交関係でも何がしら影響が出るのは当たり前の話であって(だからアメリカで政権交代の度に日本政府は右往左往するのだ)、充分にその許容範囲内の話である。
外交において 0 か 1 かを迫るが如き、状況認識はいただけない。私は雪斎先生がそのような認識を持っているとは考えないが、結果として複数のエントリーを通してアナウンスしているのは、そういうことである。


日本の場合、シーレーン防衛はアメリカ海軍に依存しきっており、日本が島国であり、世界各国と広範囲に通商を行っている以上、シーレーンを事実上支配するアメリカ合衆国と敵対する選択肢はあり得ない。
この状況は、BRICs諸国の台頭があり、パクスアメリカーナの相対的な縮小があったとしても少なくとも半世紀スパンでは変更の余地は無く、日本の「アメリカを通した平和への隷従性」は一時的な政策の齟齬があろうがなかろうが、アメリカ側には充分に担保されている。
もっともそうした相互依存体質は多かれ少なかれアメリカ合衆国についても言えることであり、食糧安保を言うのであればアメリカの場合は金融安保上の危険を抱えている。
その前に、食糧安保について言うならば、カーター政権下でブレジンスキーが戦略物質としての食糧安保を打出して以後、80年代、アメリカ農業で経営破綻が相次いだことを忘れるべきではない。ソ連のアフガン侵攻に際して、カーター政権は対ソ穀物禁輸を打出したが、それは結果的にアメリカ農業にとって市場を失わせることにつながった。
貿易通商にあっては、売り手と買い手は相互に依存しているのであり、一方のリスクだけを言い立てるのは過剰な保護主義である。
それで言うならば、アメリカ国債売却の可能性について橋本首相が言及しただけで、アメリカ政府が右往左往したように日米関係への依存はアメリカにもある。日米関係だけではなく、この相互依存は米中関係でも生じている。
そもそもそのリスクについてまったく無防備であることが、日米同盟に危機をもたらしていると見るべきではないのか。
米中は相互に強度な依存関係にあり、互いを敵とすれば双方に致命傷を負いかねないリスクがある。つまり、アメリカは相当な致命傷覚悟無しに、中国を牽制することは出来ない脆弱さを抱えており、それが事実上、対中軍事同盟である日米安保の信頼性を損なわせている。
日米同盟を危機に晒しているのは日本ではない、アメリカである。
雪斎先生の言う、自由貿易脆弱性を言うのであれば、おのずとそうした結論も導き出されなければならないことになる。


親米派であれ親中派であれ、私たちは日本人なのだから、思考の基点は日本の国益と生存にあるはずだ。日本の生存と安全にとって不可欠であるから日米安保に価値があるのだ。雪斎先生はそうした大原則を見失っておられるように思う。
究極的に言うならば、日本の生存のみが重要なのであって日米同盟はその手段である。これはアメリカ、中国、主語が変わったとしても同じことだ。
アメリカが頼れない、あるいは、アメリカが日本の利益を軽視するならば、日米安保以外の選択も、少なくとも可能性として考慮し、その準備をしておくのは当然のことなのである。
もちろん、シーレーン防衛をアメリカに依存している以上、アメリカを敵とすることはあり得ないが、少なくとも自主防衛路線や、武装中立の選択は、選択肢としてまったくあり得ないことではない。私はそういう路線が望ましいとは思わない。しかしそういう局面をとらざるを得ないこともあり得るとは思う。
そうならないために日米安保をより日本の国益に沿った形に修正をしてゆくのは、日米安保を維持するために不可欠なのである。


日米の外交上の齟齬の一例としては、藩基文・元韓国外相の国連事務総長への選出が挙げられる。
藩基文氏は結果的に「何もしない事務総長」として安全牌であることが明らかになったが、韓国の外相を事務総長に推すこと自体が、日本外交にとってはリスキーであった。日本は当初、スリランカの候補を推しており、藩基文氏の実績とキャラクターから彼を過剰に危険視していたわけではないが、リスクがあったのは確かである。リスクがあるならば、それを避けるのが当然だろう。
最終的に日本政府が藩基文支持に回ったのは、状況的なものであり、積極的なものではない。日韓関係の複雑さ、日本が抱える第二次大戦の負の歴史の過重を考えれば、藩基文氏を避けようとするのが当然であろうし、日米同盟を重視するならば、アメリカ側はこれに理解を示すべきだった。
そうならなかったのは、ジャパンハンディングのコストが非常に低かったからである。
つまり親米派の存在がこの場合は日本の国益を損なったわけで、ジャパンハンディングのコストを上げない限り同様のケースは今後も多発するだろう。それは日米安保が日本の国益にマイナスに作用するということであり、そうした要素をひとつずつ消去していかなければ日米同盟が win-win の関係にならず、維持が難しくなる。
ゲーツ国防長官らの「侮辱」はそれが手段として有効だとアメリカ側が考えていて、それに右往左往する勢力が日本国内にいるからカードとして有効になってしまっているのだ。
そうしたカードを生じさせないよう、私たちも努力をしていかなければならない。
一方、アメリカの対中依存は中国の大胆な行動を引き出している。
先年の衛星破壊実験、国防総省を含むアメリカ政府中枢へのサイバーテロ、日本のシーレーンでもある南シナ海での大胆な軍事活動(中には開戦理由として充分な行為も含まれている)、日米同盟が直面する危機を増大させているのはアメリカの経済的な無防備さである。
国民国家としてのアメリカの経済的・軍事的利益を軽視して、より階級的かつコスモポリタンウォール街の利益によってアメリカの外交政策が左右されてしまう国民国家としての脆弱さがアメリカにはあり、ハミルトン的外交政策への回帰を徹底してもらわない限り、アメリカは同盟相手として信用を得られないだろうし、アメリカと同盟を結ぶことはリスキーになる。
既に国際状況の中で日常化してしまって、その異常さが目立たなくなってしまっているが、アメリカによるイスラエルへの肩入れもそうした例のひとつである。
イスラエルの生存はまだしも、その圧制的な統治は、日本はもちろんのことアメリカにとっても何ら国益にはならないのである。単に、ユダヤ人やファンダメンタリストの圧力から、国益を基盤にした外交政策を守りきれないアメリカ政府の脆弱さが、アメリカの国益を棄損し、同盟国である日本にとっても少なからぬリスクを与えている。
同様のことはイラク戦争の甘い見通しや、オバマ政権になってからも、アフガニスタンへの深入りでも生じており、こうした日本の国益とは何ら関係のない、むしろそれに反する行動について日本の支援を求めるならば、それがアメリカの国益、そして日米安保にどういう利益があるのかを説明し、少なくとも事前に協議が出来る関係を構築すべきであろう。
パクスアメリカーナは揺らいでいる。この現実を直視する勇気がアメリカにないのであれば、それを促すのは同盟国である日本の責任である。