皇太子、皇太后

よく用いられる語であるのに、語義がよく知られていない語として皇太子、皇太后がある。
もちろんこの両語の定義としては、時代による変遷はあるが、明治以後の日本においては、定義ははっきりとしている。
皇太子に関する誤解としてよくあるのが、皇太子=皇位継承権第一位者というものだ。皇太子は皇位継承検車第一位者であるが、皇位継承権第一位者が皇太子とは限らない。
天皇の長男、その長男、その長男と続くのが直系であり、直系上にいない者は皇位継承権第一位であっても皇太子にはならない。もちろん、例えば、天皇の長男が夭折したり子孫なく死んだ場合、次男がいる時には、次男が「長子」になるわけだから、その場合は次男であっても直系上に位置することになる。
しかし例えば天皇に子がおらず、皇位継承権第一位者が天皇の弟である場合、弟は天皇から見て直系にはならないので皇太子にはなり得ない。
この直系を通しての継承者のうち、一親等の者を皇太子、二親等以上の者を皇太孫とする。
今上崩御後、皇太子殿下が即位されるとして、現状ではその後に皇太子となる人はいない。秋篠宮殿下は“徳仁天皇から見て直系ではないので、皇太子とはなり得ない。
今上がお生まれになったのが昭和八年、つまり昭和元年から今上ご誕生まで、約7年、「天皇」から見て直系の男子がいなかったわけで、その間、皇太子は不在となった。だからこそ「皇太子さまお生まれなつた」なのである。
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もちろん、その間、秩父宮雍仁親王皇位継承権第一位者であったわけだが、秩父宮殿下は昭和天皇の直系ではないので、皇太子にはならないわけである。
つまり皇太弟という存在は、弟が兄から見て直系の子孫であり得ないことから、今日の典範上、理論的に存在できない。
同様の理由から、“徳仁天皇が在位中は、悠仁親王もまた皇太子とはなり得ない。悠仁親王が皇太子となるとすれば、父である秋篠宮殿下が皇位を継承した場合のみである。


太后は、よく天皇の母と誤解されるが、これは先代の皇后のことである。
仮に、以下の場合を考えてみよう。
徳仁親王が即位後に、不幸にして弟宮の秋篠宮殿下が先立たれたとする。そして徳仁天皇から悠仁親王へと皇位が継承されたとする。
その場合、皇太后となるのは雅子さまであって紀子さまではない。紀子さま天皇の母ではあるけれども、先代の皇后ではなく、皇后の地位に上ることもないので、皇太后とはならない。その状況下における紀子さま秋篠宮妃殿下(公式には文仁親王妃殿下)のままである。
もちろん秋篠宮殿下が皇位を継承された場合には紀子様は皇后となり、雅子様は皇太后となる。その上で、悠仁親王皇位が継承されれば、紀子様は皇太后雅子様太皇太后となる。
さて、その状況下で、悠仁親王が皇后を迎えていらっしゃるとすれば、皇后、皇太后太皇太后の序列はどのようになるだろうか。
普通は、ほぼ同格の場合は先任順で序列がつけられる。三后はいずれも皇后経験者であるわけだから、普通に考えれば太皇太后、皇太后、皇后の順になる。
しかし、これは欧州諸国でも同様になるが、王室内での序列は常に君主が最上位になる。そして王族・皇族の配偶者は夫あるいは妻の地位に付随するのである。
つまり天皇が序列第一位であるならば、おのずとその配偶者である皇后は第二位になるのである。
従って、三后の序列は、皇后、太皇太后、皇太后の順になる。
一般家庭の常識とは異なって、母よりも妻の方が格上なのだ(皇太后天皇の母であった場合においても)。
貞明皇后大正天皇后)と香淳皇后昭和天皇后)の関係、香淳皇后美智子皇后の関係は必ずしも平坦なものではなかった。いずれも皇太子妃時代には姑との関係には苦労なされた。
しかし皇太后が皇后を邪険にするということはあり得ない。なぜならば、皇太后とても天皇の臣下であり、そして皇后は天皇の配偶者であるからだ。
西太后が皇帝や皇后を虐待したような、清朝末期のような現象はこのシステム下では起こりえないのである。