日米同盟、問われるのはアメリカの利益

日米同盟における日本側の利益ははっきりしている。平和国家として片翼飛行を続けている以上、米軍に防衛依存せざるを得ないからだ。対してアメリカ側の利益はややもすると抽象的だ。
そもそも同盟とは、仮想敵に対して、共同して行動にあたることを基本とする。仮想敵の脅威の度合いとそれに対応できる程度に差がある限り、同盟の必要性において加盟国間で距離が生じる。
第二次世界大戦までアメリカの外交的特徴はその孤立主義にあった。大戦から70年、既に孤立主義を脱した歴史があるとは言え、アメリカの防衛問題は二次的な問題であることに違いは無い。
私が仮にアメリカ政府を運用するのであれば、より孤立主義に軸足を移した政策をとるだろうが、それは私個人の個性というよりは常識的に考えれば普通はそうするものである。戦前においてさえ、日本政府が積極的に直接、防衛の必要がないところに派兵しなかったのと同じことだ。
NATOや日米同盟自体、アメリカ政府がアメリカの国益を必ずしも最重視していない表れであろう。
だからこそ、アメリカを同盟につなぎとめるために、より説得的かつ譲歩を重ねた交渉態度が必要だという意見が生じるのだろうが、同盟の必要の前提が欠けている同盟に外交基盤を置くことの脆弱さを果たしてそのように言う人たちはどのように考えているのだろうか。
もちろんアメリカ外交の実態は必ずしもそのように単純なものではないが、にわかに本質論が生じるならば、本質的に言うならば日米同盟はその基盤の脆弱性のために日本外交の前提としては危険過ぎる。
同じものを見て、こうも別の見解が生じるのは非常に面白いことではあるが、本質的に日米同盟がアメリカの利益において脆弱なのだから、アメリカの意思をつなぎとめるために最大限に努力をしなければならないと言う人たちは、本質的に脆弱であるのにどうしてアメリカが機嫌をとられたからといってそれを重視するのかという問題こそ考えるべきだろう。
私はたびたびアメリカに外交政策は無いと言って来た。
あるのは歴史的経緯と国内事情から生じた外交的な表徴のみである。普天間の問題程度で日米同盟の根幹が揺らぐならば、しょせんはその程度の同盟である。その程度の同盟に外交政策の基盤を置くという愚について、日米同盟絶対維持の人たちはどのように考えているのだろうか。
日米同盟を深化させるには、日米の利害を可能な限り一致させる必要がある。
つまり、日米同盟の功利的な重要性ではなく、本質論における重要性を増大させることであって、中国の脅威に対して、アメリカが直接向き合う状況を作り出す必要がある。
日本がその矢面にたっているようでは、影響は間接的なものなのだから、中国の脅威の前に、功利的にだけではなく本質的にいかにアメリカを引き込むかが問われるのであって、「アメリカにとっての」危機の増大のために行動することが日本外交が日米同盟を本質的に深化させるために避けがたい行為であろう。