天皇は誰のもの?

通常、報道で政府筋と言えば内閣官房長官を指すが、政府は誰かと言えば究極的には行政府の長である首相になる。
中国の習・国家副主席の天皇会見問題で、鳩山首相の意思ははっきりとしているのだから、少なくとも政府の分裂の問題はない。
これについて問題になるのは、羽毛田宮内庁長官が政府の決定を公式に批判したことだろうか。
宮内庁もまた内閣に所属する官公庁であるが、長官が認証官であることを踏まえれば、ぎりぎり許容範囲だろう。他の一般公務員がそれをすれば命令系統上の重大な瑕疵であろうが、望ましいことではないにしても、天皇が職務であると同時に生身の人間であることを踏まえれば、天皇寄りに発言する人が政府部内で必要になるのも確かである。
今回の件は、極端な状況において発生する問題について考えさせられる。
つまり、仮に内閣の指示に天皇が従わなかったならばどうなるのか、という問題である。
罰則規定もなければ罷免することもできない。
日本国憲法下における内閣と天皇の関係は、天皇の良識によってのみ担保されている。
あくまで法理的に言うならば、天皇は国事行為において、内閣の下部機関であると見なせるだろうし、そう見なすべきだろう。
鳩山首相天皇への敬意を持っていないとは思わないが(敬意でいうならば小泉元首相がおそらく歴代の中で一番、皇室への敬意に欠ける首相だっただろう)、行政においては首相の下に天皇があるのであって、天皇の下に首相がいるのではない。
天皇国家元首であるという認識は、あくまで外交局面における、行政府の自己規定であって、自ら望んで縛り付けた拘束は自ら望んで取り外すことも可能である。
権力の中枢の国家体制において、日本国憲法下で非常にファジーな運用がなされていることが問題なのであって、それは天皇の位置を可能な限り戦前のものに近づけたいという臣・茂らの思惑に基づいたものではないか。
日本人の間に未だに素朴な皇室崇拝の念があればこそ、潜在的な危険が増すというものである。


先の記事で、外交的な利用は天皇の政治利用にはあたらないと私は言った。そして外交においては原則を維持しつつも時にフレキシブルな対応が求められることもある。
私は鳩山首相の決断を是とする。
しかしそれとは別に思うに、天皇の政治利用をしてはならないというのはあくまで慣例的なものであり、憲法に規定されている国事行為の中でも、栄典の授与は国内政治的に政治利用となる可能性が強い。
今回の件で内閣を批判している人たちは、少なくとも皇室の政治利用とは何であるのかについてくらいは見解を出すべきだろうと思う。