正岡りつ

録画しておいた「坂の上の雲・第一部」を見終わった。まあ、こんなところか、と思う。随分冷淡であるようだが、原作が優れているのだから素直に映像化していけば、おのずと傑作になろう。そこからすれば、合格点でもあり、さりとて、というところだろう。
子規の妹、りつについては多分そうなるのではないかと思ったとおりになっている。ドラマツルギーとして恋愛の要素を入れたがるのは、現代の作家の悪い癖である。
主に正岡家の後日談を描いた司馬遼太郎の作品に「ひとびとの跫音」というエッセイがある。そこで描かれているエピソードに次のようなものがあった。
坂の上の雲」を執筆するに際して、両秋山家と正岡家の面々と顔合わせの意味で司馬は宴席を設けた。それを機に、特に正岡家の人たちと濃厚な関係を織り上げてゆくのだが、それはともかくその際に、秋山好古の娘から「正岡りつさんは秋山真之叔父に恋慕があったのではなかろうか」との推測を司馬は打ち明けられている。
理由を聞けば、秋山真之と正岡家は濃厚な付き合いがあり、真之は美男子であったから、当然、りつも何らかの思いは抱いたであろうとの、誰と誰が恋仲であると噂するのが好きな少女趣味めいたものであった。
司馬はその説を退けている。正岡りつにも若い頃はあったのだから、そういう感情があったとしても不思議ではないにしろ、その後の彼女の人となりから考えて、「平仄があわない」と感じたのだろう。
司馬が退けた正岡りつの「恋慕」をNHKのドラマではそれがあったかのように描いている。テレビドラマに伴う、ささやかな演出とは言え、正岡りつという人の立ち方を思えば、限りなくフィクションに近いように思われる。
菅野美穂はこの女傑を演じて気丈にして可憐である。彼女が余りにも魅力ある造形を描き出しているものだから、秋山真之がどうしてりつを浚って仕舞わないか、さっぱり分からないのだ。
明らかに自分に好意を抱いている、健気にして可憐な女性がいて、どうして朴念仁のようにそ知らぬ顔をしていられるのか。それは男子として不自然なのだ。
鳩山由紀夫首相の曾祖母にあたる鳩山春子は、共立女子大学創始者のひとりであり、女子教育の開拓者のひとりである。共立女子大の前身の共立女子職業学校は女性の職業的自立を目的として創建され、正岡りつは子規の死後、その学校に入学している。
卒業後は母校の教員も務め、ついに独り身を貫いた。もっとも、経済的には、子規在世中よりもよほど潤っていたはずで、子規の文名により正岡りつの生前に二度にわたり出版された全集の印税はすべてりつのものとなったはずである。
漱石の遺族がやはり全集の印税で豪勢な暮らしをし、斉藤茂吉の妻の輝子、旅行家として知られた彼女の旅行資金も元は茂吉の印税であったことを鑑みれば、女一人が独立して暮らしてゆく分くらいの収入は子規によってもたらされたはずだ。
文人やその周囲の人々の営みを見ていても、私はまず生活費はどこから捻出されているのかが気になる性質なので、正岡りつが少なくとも後半生はそうそうカネには困らなかったようだと聞いて、他人事ながら安堵する。
父や兄弟や夫や子らに、頼らねば生きるのが難しかった当時の女性たちの中にあって、正岡りつは自立を計ろうとした女性であり、子規の余慶もあったとは言え、自立をまっとうした女性であった。
その女性を描くのに、まずは真之への恋慕を介在させるとは、嘘八百も甚だしいし、彼女の生き方に対して失礼であるようにも思う。
司馬が生きていれば、あの白髪の眉をひそめるくらいのことはしたのではないか。