ネット10年

やはりインターネットが一般的になったのは、日本ではADSLが普及しだした頃、2000年頃からではないかと思う。
2000年からとしても、確かにその後10年の間でウェブの風景はがらりと変わった。2005年くらいまで頻繁に読んでいた中島梓のウェブサイト、「神楽坂倶楽部」だが、この記事を書くに当たって改めて検索したところ、サイトが復活していた。
中島梓/栗本薫の逝去後、データが抹消されていたので、日記だけでも膨大な量になるのに、勿体ないなと残念に思っていたのだが、復旧したようでなによりだ。
なぜここで、神楽坂倶楽部について言及するかと言えば、サイトのデザインや作りが、ゼロ年代初期の「ホームページの時代」を色濃く残しているからだ。
homepage2.nifty.com/kaguraclub/ なるURLがパソコン通信時代の老舗、@nifty の会員向けサーバーであることからも分かるように、当時は中島梓/栗本薫はウェブ活用では最先端を行っている物書きだった。ウェブで発言する、ましてウェブサイト(当時はホームページと言う呼び方が主流だったが)を設置することが非常に稀だった頃である。
見るからにホームページビルダーでアマチュアが作成しているのが丸分かりのこのサイト、それにしても誰が作ったんだろう、ともかくこのサイトの凄いところは、2000年の最先端「風」であったデザインからほとんど変更することなく、今に到っていることだ。
見れば分かるように、今となってはものすごくレトロな雰囲気を漂わせているのだが、それだけにサイト自体に資料的価値があり、ぜひ、残しておいて欲しい。
当時の人気サイトを紹介したメールが今手元にあるのだが、非常に懐かしい名前が並んでいる。
「Kure's Homepage」とかね。
今もそうしたホームページは残っているけれど、周囲の人に聞いても、私自身も「ホームページ」を見ることはごく稀になってしまった。
一般人のウェブサイト構築能力は、今の方が格段に下であるはずだ。私は少しはウェブデザインをかじったので、このブログ程度のデザインならば自分で書こうと思えば書けるのだが、やはり既存のブログサービスを使う方が何倍も楽なのは確かだ。
全体にハンドメイドなサイトが多かった景色はすっかり様変わりして、ウェブサイトのプラットフォーム部分はほとんどが企業が提供するものになった。
それに伴って、言葉の蓄積がどんどん希薄になっているように感じる。ホームページの時代では、各種マニアのコアになるサイトがあり、それぞれが知識や自分の言葉を蓄積していったのだが、ブログによって言葉が流れてしまうようになったと感じる。
Twitter まで行ってしまうと、私から見てさえ、言葉のアーカイブ、知の公共圏としては刹那的に過ぎるように感じる。ブレイキング・ニュースのようなものであれば良いのだろうけれど、論考としてはどんどん軽くなってしまっているように感じる。
Twitter をやる意味が私には今ひとつ分からないのだが、既に私も老兵となったということなのだろう。