公教育と憲法第89条

誤解のないようにあらかじめ言っておけば、私自身は持論としてはかなり厳密な公教育論者である。自分が国公立の小中高大を卒業したから、と言うこともあるし、基本的に「親」を信用していないからである。
理屈で言えば、補助的な私塾以外は、そもそも私立学校や私学教育を認めない、容認しない立場に私はある。これは現状の私学助成金に反対するということではない。現状では私学教育を政府は容認してしまっているのだから、その中で教育の公平化(財政的にも)を図ろうとするのは当然である。
私の主張はそもそも論では「私学廃止」「私学教育の禁止」であり、現状を踏まえて言うならば、「私学助成賛成」である。私学教育を放置している責任は政府や国民が問われるべきであり、中の生徒が問われるべきではないからである。
朝鮮学校についての評価も、基本的にはネガティヴである。児童にはプレーンな教育が与えられるべきであり、宗教教育や民族教育、特殊な道徳教育を施されない権利があると思うからである。公教育でも、教師が学習指導要綱から離れて特殊な持論を唱えることにも反対であるし、学習指導要綱自体も厳密に政治的に中立を希求しなければならない。
その上でそれぞれで生徒が自我を形成するからこその個人の自由意志なのだ。
洗脳された結果の自我は自我ではない。教育は政治的デモンストレーションではない。
義務教育においてホームスクーリングを容認せざるを得ないような場合(僻地等の理由から)、専門の教師を派遣する、通信教育を利用して遠隔公教育を行う、可能であれば里親を利用する等の代替手段をまず試みるべきで、それでも無理ならば、そもそもその保護者に親権を維持する能力がないと考える。
子供は親の物ではない。
しかしながら現状や現在の制度、行政や司法では、私学教育を容認しているのであるし、憲法第89条の定める「公の支配」が単純に公立かどうか、各法の要件を満たしているかどうか(一条校であるかどうか)で判断されるものでないことについては既に判例がある。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=20276&hanreiKbn=02
各種学校である幼児教室に公的支援を行うことが可能ならば、各種学校である朝鮮学校公的支援が出来ないと言うのは端的に言って嘘である。
やるかやらないかのイニシアチヴが行政側にあるとは言えるかも知れないが、他校に対して公的支援を行っているならば、法の下の平等にも関わってくる問題になる。
朝鮮学校の内部での教育が特に公益や生徒個人の私益を毀損するようなものであるならば、各種学校としても扱うべきではないし、生徒は保護されなければならない。それをする義務は行政が負っている。
その義務を果たしていないのであればこれは「教育の義務」に対する違反であるし、義務を果たすだけの理由がないと満たされているならば、朝鮮学校内の生徒にも財政的な支援は他校生徒と同様・同等になされるべきである。