国母選手の件

http://www.taro.org/2010/02/post-716.php
河野太郎さんは正しい意味でリバタリアンであるなと思った。ただ、政治家でリバタリアンであるのはごく珍しく、政治的自由主義者である点で右翼から排斥されるだろうし、経済的自由主義者である点で左翼から排斥されるだろう。経済的自由主義者であることから右翼から支持される、あるいは政治的自由主義者であることから左翼から支持されることはまずないだろう。
河野太郎さんは政治家としては非常に険しい道を進んでいる。
私は少なくとも政治的にはリバタリアンであるので、河野太郎さんの言に同意であるのだが、オリンピック代表団のような公的な組織が、価値観からの攻撃に対して一人の選手も守れない「イリーガル」ぶりの方がよほど問題だと思う。橋本聖子はいったい何をしているのか。好き嫌いは別として、ああいう場面では公を背負っている者は徹頭徹尾、被害者(この場合は国母選手)の側に立たなければならない。
彼女にいったい国会議員の資質があるのかどうか疑わせる結果となった。
国母選手がルールに違反しているというならば粛々と処分すればいいだけのことである(どういうルールなのかは知らないが)。メダル圏内にあるからと、処分も曲げられるならそもそもルールではない。国母選手は自分の生き方を貫き、JOCはルールを遵守する、本来それだけの話であるはずなのに、価値観を押し付けようとするから話にならないのだ。
しかしもちろん、ルールがそもそもどういうものなのかについては吟味されなければならない。JOCのように「税金を使って運営されている」機関の場合は特にそうである。
服装が乱れている程度のことで(乱れている、というのも価値観であるが)、処分を行う権限がそもそもJOCにあるのかどうかについては別途、検討されなければならない。
いずれにせよ国母選手の件は彼個人の価値観の問題であるのに対し、勝谷誠彦が公共の電波で「(彼を撮影することは)カメラが腐る」と発言したことについては侮辱罪を構成し得る犯罪である。もちろんそれを電波に乗せたテレビ局も責任が問われる話だ。
この国ではしばしば犯罪者が道徳を論じたがるが、勝谷氏の例もそのようなものかと思った。