鳩山首相辞任

残念だ。残念だと言うのは鳩山首相が辞任表明したことではなく、またもや首相の在任が1年もたなかったことについてである。
鳩山首相故人献金問題は首相就任前から取りざたされていて、その問題に加え、氏のパーソナリティの問題、危機管理能力の欠落は明らかであり、私は民主党を支持しながらも、国家国民のことを真剣に考えるならば、"鳩山代表"はあらかじめ身を引くべきであると言っていた。
今回の辞任の直接的な原因は普天間基地問題と社会民主党の連立離脱によるものだが、基本的には鳩山由紀夫という人物個人の能力・パーソナリティの問題なので、他の問題でも早晩こうなっていただろう。
そもそも鳩山由紀夫という人は昨日今日、彼になった訳ではなく、最初からああいう人であったので、「自分が総理大臣職に相応しい」と思っていたのだとしたら現実把握能力に欠けるし、「とにかく首相になりたい」と思っていたのだとしたら、重責を担う倫理的誠実さに欠けている。
例えば一般企業に新入社員として、歴代の民主党代表、菅、鳩山、岡田、前原、小沢が入社したとしよう。誰がどう見ても一番使えなさそうなのが鳩山氏である。
経歴上の自負は別にして、自分がそのように見られがちであるという自覚が果たして鳩山氏にあったのかどうか。
鳩山家の総領として生まれたことで、自分がどれほど高い下駄をはかされてきたのか、理解できているのかどうか。
誰かが谷垣元財務相の人となりを評していた言の中に、「ブリーフをはいていそうな男」という秀逸なものがあった。
実際に彼がどういう下着をはいているかはともかく、要は「きちんとしているが迫力に欠ける」という評価、人物の厚みの無さを評した結果である。
対して、鳩山首相はどういう下着をはいているか検討もつかない。それは褒め言葉ではなく、余りにも常識からかけ離れているということである。
パラダイムシフトというような意味での常識の欠落ならば良いが(そしてそういう意味あいもまったくなかったわけではないとは思うが)、鳩山氏の常識感覚の欠落は単なる鈍感さに過ぎなかった。
ファッションは本筋の批判ではないが、日本国の首相としてはまったく問われないわけではない。鳩山氏個人が笑い者になるならば構わないが、日本国首相が笑われるのは国家の問題である。
要はその認識と覚悟があるかどうかである。
せいぜいが大学生の頃に矯正されておくべきそうした無定見な自我の暴走を、還暦過ぎても維持している、異常人格と言うしかない個性である。その異常が許されたのは鳩山家の「坊ちゃん」だからである。
せめて鳩山家が株配当によって食う資本家ではなく、経営を主とする家であったならば、自然と矯正されていったのかも知れない。
今日明日の食費や家賃の心配をしたことの無い者に、従業員や部下の給与の心配をしたことがない者に、どうして国民生活が理解できるだろうか。
あるいは、と思う。「平時」であればこういう型の指導者にも活躍の余地はあったかも知れない。しかし日本にはもはや平時は無い。


小沢幹事長も身を引く構えを見せている。
鳩山首相がかねてより言明しているとおり、首相を務めたような人物がその後も政界に残るような真似は是非とも辞めて欲しい。
鳩山首相小沢幹事長にはこの際、衆議院議員も辞職し、自らの政治団体も解散することを望む。
彼らの歴史的使命は終わった。以後は存在すること自体が害悪である。鳩山首相連座して「殉死」をすべき者が幾人か民主党にはいるだろう。
自らそれをしないのであれば、彼らの言う国家国民の為という言葉もしょせんはその程度ということである。


回り道であっても、民主党は再び自由な議論が出来る党になるべきだ。執行部の権限強化はそれはそれで進めれば良い。しかしその前提に、議員個人の政治的情熱と、それを担保にした議論がなければどうにもならない。
小沢幹事長のやり方は、どう考えても民主主義政党のあり方としておかしい。
彼の翼賛となった議員たちは政治家としての自負にかけて自らを今一度問い直すべきだろう。
小沢チルドレンの中にも見所のある若い政治家たちはいる。福田衣里子代議士は今は薬害肝炎のワンイシューの政治家だが、いずれは成長するだろうと期待している。
一方、三宅雪子代議士は、議論の府である国会の議員であるという自覚が致命的に欠けている。彼女も成長するかも知れないが、国会は既に不惑を越えたような人を基本から教育するような場ではない。彼女は恥を知るべきであるし、恥を知っているならば政治家から退くべきである。彼女をそそのかした連中も同様である。


鳩山内閣の政策として、普天間基地の問題は、私はむしろ評価している。一回まわって元の位置に戻ったのだとしても、国民を保護すると言うことについて政府が最善の道を選ぶべく議論と検討を重ねるのは当たり前のことだからである。
日米同盟を聖域化せず、この姿勢を見せたこと自体は良かった。ただしその過程で露呈した、仮に野党政治家であったとしても当然認識しておくべき防衛問題の基礎知識の欠如が露呈したのは問題である。
更に問題であったのは、首相と積極的に関わって、事態を打破しようとする動きが民主党閣僚の中にほとんど見られなかったことである。
司令塔として官邸があるのだとしても、防衛相、外相、副総理には首相に情報を入れ、叱咤することがもっと出来たはずだ。
岡田外相と菅副総理は必ず後継首相の名に挙げられるだろうが、鳩山内閣の外相と副総理として、鳩山首相連座すべきだろう。


普天間基地の裁定をめぐって社会民主党が連立から離脱したが、この政党の限界が露呈した。
「たしかな野党」ではなく、これでは「たしかに野党」である。
現実政治の妥協の中で、妥協が不可能なほど非現実的な政策をかかげているかを意味し、妥協の中でベターな選択を実現していく気がまったくないことが明らかになった。
政策を実現するならば、与党であることはほとんど必要条件であり、ワンイシューで政権を離脱するならば、そもそも政策を実現しようとする意思がないというしかない。
この件で社会民主党の「潔さ」を賞賛する向きもあるがまったくもって理解に苦しむ。
小政党であるというのは誇りではない。カルト的な支持者しか得られないことは恥じるべきことである。