菅直人と言う人

菅直人さん。世間的には過去の人と言う扱いであったのだろうと思う。3年ぐらい前にmixi菅直人のコミュニティに参加した時、参加者は100人に達していなかったと記憶している(菅直人関連で最大コミュニティででも、である)。
今日、確認したら、増えてはいたけれど、それでも「たったの」286人だった。
歴代民主党代表の中では一番少ない。
これまでの実績から言っても、鳩山内閣で副総理で入閣したのは妥当であったろうが、その地位にふさわしい存在感は示せないでいた。最近の菅氏を見ていると、急速に老け込んでいるようで、ここに来て首相の激務を引き受けたら死んでしまうんじゃないか。


鳩船新党、そういう言葉があった。自民党の政治にあきたらず、と言って小沢一郎新進党には合流できない人たち、そういう人たちを糾合して第三党を作ろうとする動きが橋本政権の頃にあった。
鳩船の鳩はもちろん鳩山由紀夫だが、船は船田元である。船田元のその後の凋落振りは目もあてられないほどだが、日本を変えるニューリーダーとして注目を浴びていた時期もあった。
なぜこの2名なのかと言えば簡単に言えば自己資金を持っていたからである。
しかし思うに、政党をたちあげる際に一番重要なのはカネではない。カネはもちろんある程度は必要かもしれないが、一番重要なのは国民からの支持である。「みんなの党」がいい例で、支持があればカネは後からついてくるのである。
鳩山由紀夫はむかしから言葉が軽かった。後世の歴史家はひょっとしたら鳩山由紀夫をそれなりに高く評価するかも知れないと思うのは、歴史家は人の言葉をブッキッシュに読んでしまいがちだからである。同時代人は、発言者の表情や声、大きく言えばそれまでの生き方を通して現れる全人格を判断するのである。
敢えて言うならば、政治的人格としての鳩山由紀夫に期待する人はほとんどいなかったと言うべきだろう。彼の役割は徹頭徹尾、財布であって、自分のキャラクターと役割を彼自身が自覚できなかったことが彼にとっても国民にとっても不幸なことだった。
民主党立ち上げにあって、国民の支持の部分を担ったのが菅直人だった。鳩山由紀夫抜きで、菅直人民主党を作れたかもしれないが、菅直人抜きでは鳩山由紀夫民主党を作れなかっただろう。
人には旬の時期があって、あの頃に菅直人が首相になっていたならば、いろいろなことが違っていただろうと思う。
菅直人イラ菅でいいのだが、立場や年齢的に、ストレートにイラ菅であるのは無理が生じてしまっている。
「怒る」にはエネルギーが必要なのだ。
年をとって丸くなるのはほとんどの場合、「怒る」のに疲れてしまうからだろうと私は思っている。
今そこにあるのはかつての菅直人の抜け殻である。残念なことに、彼は年齢を重ねて円熟するというタイプの人ではない。