教師はどこまでしなければならないのか

「死にたくない」叫ぶ生徒 浜名湖転覆、安否確認で混乱 - asahi.com

 浜松市浜名湖で訓練中だった愛知県豊橋市立章南中学校の手こぎボートが転覆して1年の西野花菜さん(12)が死亡した事故で、ひっくり返った真っ暗なボートの中で生徒が叫ぶなか、湖に投げ出された教諭が号令をかけてボートの内側から脱出していたことが分かった。その一方で、教諭もモーターボートで助けられて現場を離れるなどしたため安否確認が混乱するなど、事故直後の様子が学校側への取材などで明らかになった。

 教諭から水野克昭校長が聞き取りした話によると、転覆したボートの内側には教諭と10人以上の生徒が取り残された。水は胸のあたりまできていた。呼吸はできる状態だったが、中は真っ暗だった。水位が上がってきて、「死にたくないよー」と叫ぶ生徒もいたという。教諭が「みんな、しっかりつかまって。出るよ」と叫び、「1、2の3」と号令をかけて、ボートの下から脱出したという。

 生徒とともに2人の教諭もモーターボートに引き上げられ、先に計10人が岸に戻った。亡くなった西野さんをのぞく9人の生徒は、転覆したボートの上で檀野所長が一緒に救助を待った。教諭の1人は水野校長に、「(モーターボートが)現場にまた戻ると思ったが波が非常に高く、二次被害を考えてかボートが再び出動しなかった」と話しているという。

災害や事故で、パニックに陥ることはよくあることだが、パニックになって良いことはひとつもない。パニックになる/ならないに個人差がある以上、このような非常事態でパニックになることについて、「非常事態だからしょうがない」で終わらせるのではなく、パニックが生じたことによる因果関係をはっきりと指摘するべきであろう。
このケースでも、教員が点呼をとれる状況であれば、おそらく死亡した生徒を見落とすことはなかっただろうと思われる。しかし転覆したボートの上で、パニックになり半ば狂乱化した生徒たちを相手に、自身の判断も混乱しているだろう教師が点呼を取らせることはかなり難しかっただろう。
泣き叫んでそれで助かる確率が高まるならばそうすればよい。しかし実際には、非常事態でそのような状態になることは危険を増大させることにしかならない。
今おそらく友達を失ったことで一番ショックを受けているのは生存者たちだろう。その人たちに対するケアは必要だが、非常事態において、泣き叫ぶ者がいなければ救助が可能だったかも知れないことは今後こうしたことを極力防ぎたいのであれば指摘しておくべきである。
事故や災害において、パニックになって騒ぐ人たちが現実に適切な避難や救助を阻害しているということだ。
個人差があるということは、セルフコントロールが可能、少なくとも最大限化することは可能ということなのだから、パニックになること自体に社会は寛容であるべきではない。
もちろん、非常事態であるがゆえに結果的にパニックになったのだとしても、後からその人たちをスケープゴート化することも望ましくない。一番望ましいのは、当人たちがそれが問題であると認識し、次からはセルフコントロールを可能な限り働かせることである。
現状は、それが問題であるという問題意識さえ薄弱である。ゆえに改めて指摘した。


こういう事故があれば教師は保護監督責任が問われることになるが、自身が危機的な状況にある時に、どこまで生徒とは言え他人に対する保護責任が生じるかは疑問である。
おそらくこのケースでは法的な責任は問えないだろう(計画を立案した学校側の責任は問えるとしても)。
私は過去に何度か同じことを言ったが、改めて今回も同じことを言えば「誰も自分の命を危険に晒すことを強要されてはならない」のである。教師や医療従事者、警察官、自衛官とても同じことだ。
子供といえども最後の最後は自分で自分の身を守らなければならない。それが出来ないならば死ぬだけである。