シンタローとエバ・ブラウン

どういう人たちと付き合うか決定できるならば、周囲の人間の言動の責任は私たちの責任の一部であると思う。ヒトラーの愛人のエバ・ブラウンが、ナチスユダヤ人政策に積極的に関与したとみなす理由はまったくないが、アドルフ・ヒトラーの反ユダヤ傾向はホロコーストが実施され、明らかになる以前から、明白だったので、少なくともエバ・ブラウンは反ユダヤ政策については何の関心も持っていなかった、鈍感であった、人間の生存権について無関心な人間であったと評されることを免れ得るとは思わない。
現代の人権の水準から見て、エバ・ブラウンはヒトラーの愛人であったということよりは、その人権に対する無関心ぶりから充分に非難に値する人物である。


石原都政の12年間は空虚と言うか、壮大な失敗であったと思う。ただ、ここでは政策的な話はしない。現代の政治家としての石原慎太郎の資質の問題の話をする。
石原慎太郎は、長年の衆議院議員の経験ながら、自由民主党内の位置づけは傍流の傍流であり、大臣経験も運輸大臣の一期しかない(その短い在任中にも舌禍事件を起こしたのはいかにも彼らしいのだが)。
中央政界の政治家としては無為に近い日々を送っていたのだが、その無為さが、都知事選挙に出馬するにあたって、期待となったことは否めない。何もしなかったから純白であったというならば、12年前の石原ブームとは、中央政界の政治家としての彼の無能さの現れであった。
とは言え、あの頃には実際には彼を判断する材料が都民にはなかった。彼にあったのは幾つかの著作と、ときおり文藝春秋に寄稿した勇ましい論文と、なにやらそうしたふわふわとしたイメージだけだった。行政官として無能であったのだから、行政的なしがらみがなかったのも道理である。
石原都政の一期目への投票については、この判断材料が無かったという点でもって、私は石原に投票した人たちをそう責めるわけにはいかないと思う。しかし二期目以後については石原の差別性はすでに「ババァ発言」などで明らかになっていたのだから、石原の支持者はエバ・ブラウンと同様の責は負うと思う。
石原慎太郎と言う政治家は東京の恥であり、日本人の汚点だと思う。
猪瀬直樹という人も、そもそも他人にどうこうしろとか言えるような立場ではないと思う。彼は石原都政の副知事なのだから、せいぜいがヒトラーの尻尾である。この人がアニメや漫画のファンをどうこう言ったり、ことさら夕張を持ち出すのは、ベルルスコーニが人倫を説くようなおかしみともの悲しさを誘う。


公党の指導者たちは積極的に石原非難のコメントを出すべきだろう。自由民主党が彼の同性愛者差別発言に口をつぐんでいるのは、「保守とは憎悪する人たち」という私の見方を強化するだけである。石原伸晃氏にとっては石原慎太郎は父親であるが、氏には石原慎太郎を選挙において応援したという責任があり、公人なのだから、差別を肯定するにせよ否定するにせよ、公人としてきちんとアナウンスした方がいい。
石原慎太郎のここ最近の発言はさすがに弁護の余地がないものばかりだが、マスメディアできちんと問題視する姿勢がないのが、可能な限り穏当に言っても、「残念」である。
こういう無作為ばかりしているからマスメディアはゴミ呼ばわりされるのだ。
こういう中で、幾人かのアルファブロガーがきちんと批判記事を書いていらっしゃるのは本当にありがたい。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51558989.html
右も左もない。右も左もなく、石原慎太郎のような差別者にはきとんとNOを言っていくことが、当たり前の風景として日本に定着してほしいと思う。