歳をとるとつかなくてもいい耐性がついてくる。人生は重き荷を負うて長き道を行くがごとし、たまにかわいいあの子の笑顔が見られればわしゃハッピーよ、と辛いこと、不愉快なことの連続に慣れていってしまう。
大河ドラマも今年の「江」に至っては、無我の境地と言うか、正直言って誰が見ているのか分からない(俺だよ俺)。ああ、すごいなあ、あれを日曜午後8時の総合テレビで流すんだもんなあ、小和田哲男先生、あなたのキャリアはもうおしまいでしょうなあ、とかそういうことを噛みしめながら生きてゆく今日この頃。
世の中、下には下がいる。更なる闇がある。田淵久美子。目指すは椎名桜子路線か。桜子は家族輪舞曲を踊りながら消えた。久美子もあんみつ姫とともに消えてほしかった。
篤姫」の場合はなにしろ主人公が基本的には大奥から一歩も外に出ないわけで、放っておいたら坐芸の連続だったのだが、小松帯刀をフィーチャーしたことでいろんな無理が一気に可能になった。シエには小松帯刀がいないのか敗因か。
えーい、家康の伊賀越えに同道させちゃえとか、清州会議を盗み聞きさせちゃえとか、思い切りよくする前に、「無理なく物語にからめるにはどうすればいいか」を考えるのが腕のみせどころのはずだ。以前、「天地人」を歴女ご用達の同人誌と思えば腹も立たないと言ったが、いくらなんでもシエを同人誌に比するのは同人誌に失礼だ。
ぼおいずらぶだってもう少しストーリーテリングの技術はある。
今回、浅井三姉妹を取り上げた以上、少なくとももうしばらくは題材にはならないわけで、もったいないと思う。いろんな料理の仕方があったのに。
三姉妹が織田家にいた時に織田家の人たちとの絡みをもっと丁寧に書いていれば、佐治一成織田家の外孫なのだからもっと絡ませようもあったはず。織田信包なんてほんと、使いようがあったのにねえ。有楽斎を出しておけば、本能寺でも関ヶ原でも大坂の陣でも膨らませようがあったのに。
万福丸を殺された市が津田信澄を見て、なにかしらの感慨を持つとかね(しかも信澄は結局、本能寺の後、殺されるんだから、「織田家」のお家大事ももっと陰影を持たせられたのに)。
やれる材料を全部無視してやらなくてもいいことばかりやっている。久美子よ。おまえはマゾか。それとも視聴者に苦痛を与えたいサドなのか。家康の家臣にはそういえば佐渡守しかおらんのか。