東電免責考

福島原発の事故について、東京電力側は、原子力損害賠償法が規定する異常に巨大な天変地災に今回の事故原因が相当するため、免責余地があるとの解釈を示している。

 福島第一原発の事故に絡み、福島県双葉町の会社社長の男性(34)が東京電力に損害賠償金の仮払いを求めた仮処分申し立てで、東電側が今回の大震災は原子力損害賠償法(原賠法)上の「異常に巨大な天災地変」に当たり、「(東電が)免責されると解する余地がある」との見解を示したことがわかった。

 原賠法では、「異常に巨大な天災地変」は事業者の免責事由になっており、この点に対する東電側の考え方が明らかになるのは初めて。東電側は一貫して申し立ての却下を求めているが、免責を主張するかについては「諸般の事情」を理由に留保している。

 東電側が見解を示したのは、東京地裁あての26日付準備書面。今回の大震災では免責規定が適用されないとする男性側に対して、「免責が実際にはほとんどありえないような解釈は、事業の健全な発達という法の目的を軽視しており、狭すぎる」と主張。「異常に巨大な天災地変」は、想像を超えるような非常に大きな規模やエネルギーの地震津波をいい、今回の大震災が該当するとした。

 一方、男性側は「免責規定は、立法経緯から、限りなく限定的に解釈されなければならない」と主張。規定は、天災地変自体の規模だけから判断できるものではなく、その異常な大きさゆえに損害に対処できないような事態が生じた場合に限って適用されるとして、今回は賠償を想定できない事態に至っていないと言っている。

 菅政権は東電に第一義的な賠償責任があるとの立場で、枝野幸男官房長官は東電の免責を否定しているが、男性側代理人の松井勝弁護士(東京弁護士会)は「責任主体の東電自身がこうした見解を持っている以上、国主導の枠組みによる賠償手続きも、東電と国の負担割合をめぐって長期化する恐れがある」と指摘。本訴訟も視野に、引き続き司法手続きを進めるという。これに対して、東電広報部は「係争中であり、当社からのコメントは差し控えたい」と言っている。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104280255.html

枝野官房長官は政府見解として、東電の免責を否定しており、司法判断が出るまではこの行政解釈が拘束性を持つことになる。
免責を主張していながら、賠償スキームへの関与も否定していない現在の東京電力の姿勢は、矛盾があるのだが、最終的な司法解釈が出されていない状況での暫定的な姿勢だと見なすならば、おかしくはない。
つまり、現在は暫定的に、枝野長官が提示した行政解釈が拘束性を持つために、それに沿った対応を東京電力はしているが、司法解釈が出た時点で、仮にその判断が東京電力の免責を容認するものであれば、賠償スキームからの離脱のみならず、それまでの損失に対する東京電力から国に対する賠償請求もあり得るということだ。

与謝野馨経済財政担当相は17日、閣議後の記者会見で、政府が先に決めた福島第1原発事故に関わる賠償枠組みの検討過程で、東京電力の責任を免除すべきだと主張したことを明らかにした。
原子力損害賠償法は「異常に巨大な天災地変」による事故では賠償義務を免じると規定している。
政府がまとめた賠償枠組みは東電の無限責任を前提にしており、これと真っ向から対立する考え。
経財相は被災者への早期支払いを優先するとして最終的に政府案を受け入れたが、会見では「(株主など)利害関係人から裁判所に言ってくる可能性は当然残る」とし、将来裁判上の争いになり得るとの認識を示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110517-00000057-jij-pol

与謝野経財相の考えには私はまったく同意はしないが、早期にスキームを作ろうとする計画が法律的な問題を含んでいるのは確かだ。
今回の地震津波原発事故が単に一事件として扱うことが困難な広範で深刻な影響を長期にわたって及ぼすことが予想されるために、日本の司法の傾向から言って、東京電力が関与するであろう「免責関係」の訴訟で、司法は統治行為論的な超法規的な解釈をなすか、もしくは、それに沿った文脈で解釈をするだろうと私は予測している。
いずれにせよ、司法解釈でも、東京電力が免責される可能性は少ない。
私は原子力損害賠償法の規定から言っても、東京電力の免責は難しいだろうと考えている。
「異常」の解釈の問題である。天変地異は自然のものなのだから、原理的に言えば「異常」の天変地異はない。しかし、ここで「異常」という言葉が用いられていることから、これが何を意味するのかという解釈が必要になってくる。規模はおそらくそのひとつの要素ではあろうが、すべてではない。
M9.0レベルの地震とそれに伴う津波は、世界規模で見れば発生事例があり、日本近海でも構造的に発生が可能であった。女川原発のように、同地震に際しても耐え抜いた原発があったことから、「予測と対処の原理的な不可能性」を主張するのは困難であろうと考える。「予測と対処の原理的な不可能性」を伴うような天変地災が「異常」な天変地異であり、今回の事例はそれに相当しないと思う。
ともかく、東京電力の無限賠償が否定されなかったとして、東京電力だけでは賠償を賄いきれないのは目に見えているので、そこから先に何がしらの賠償スキームを作るべきかどうかという話を後日考えてみる。