仕事が出来ないということ

仕事が遅い人の共通項
精神論ではない仕事を速くこなす技術
どちらもそれなりに頷ける話だが、作業することも、考えることもどちらも必要なわけである。正確に言うならば、何をどこまでいつ、作業に落とし込むかを考える必要がある。プールで目の前で子供がおぼれているならば、まずするべきなのは、どうやって助けるのが最も効率がいいかを考えることではなく、飛び込むことだ。状況次第、内容次第による取捨選択が出来ないから仕事ができない人はいつまでたっても仕事が出来ないのだ。何が最適解を決めるかは状況であって、私たちが「どうしたいか」ではない。「考える」ことを理由として仕事を遅滞させている人は考えることが出来ていないから、仕事が遅滞しているのだ。何事も、頭を使わないで済む仕事というものはない。
ただし、「これまでの職場慣行」というのは多数の人が考えて、各方面のバランスを考慮して、その結果成り立ってきたものである。新人がまずやるべきなのは、「これまでの職場慣行」を尊重し、とりあえずその通りにしてみせることであって、それを改変しようというのはその先の話になる。新人のうちは処理能力自体も未熟であるし、まず情報自体が少ないので、それを経験の中で蓄積してゆくことが重要になるだろう。例えば同じような内容の取引先Aの仕事と取引先Bの仕事が、A→Bの順で入って来たならば普通はその順序通りに処理すべきであるが、A社の担当者が温厚で、B社の担当者がせっかちならば、その順序を入れ替えるというような微妙な調整をしてゆく必要がある。そういうことは新人では分からないから、自分で突っ走っては単純に情報不足なのである。
仕事と言うのはいかに考えずに済むかを考えることだとも言える。工場でロボットを導入するのは、単純作業を飛躍的に向上させ、熟練を必要なくさせるためである。それと同じことが事務処理でも言えるのであって、作業に落とし込む余地を広く持てる人の方が結局はミスも少ないし効率もいい。問題は効率と言うのは自分ではなかなか分かりにくいということだ。
会社では誰でも仕事をしているのだから、自分のやり方に問題があると気づく人の方が少ない。「私はきちんと仕事をしています」で終わることの方が多い。仕事が遅い人は、究極的には考えが足りないのだが、もっと具体的に言うならば、観察が出来ていないのである。他の人はどうやっているのだろうか、そのやり方でやった場合の効率はどうかという視点が足りないのである。
もっとあからさまに言うならば、どのようなやり方でやったとしても、
・速ければよい
・ミスが無ければよい
・問題を引き起こさなければよい
のであって、考えようがどうしようが、結果がダメだったらダメなのである。
ダメだったら、そのやり方に固執し、正当化をしようとするのではなく、やり方を替えなければならない。仕事のやり方とは単純に方法論に過ぎないが、その方法論を全人格的な問題ととらえるから仕事が出来ないのである。
更にいうならば、仕事ができるかどうかを評価決定するのは、上司である。上司の意向に沿うことがまずは仕事ができるということであって、その組織的なしがらみがいやならば自分で起業するしかない。