大津市のいじめの問題

大津市の例のいじめの件は、報道を見る限り、本当にひどい話だと思う。大津市教育委員会は未だに、いじめと自殺の関連性を認めるには至っていないが、大津市長は少なくともその可能性大であることを指摘し、詳細な調査を支持した。警察でも捜査体制がもうけられたよう。
ただ、私がこの一連の流れの中で、一番問題があると思ったのは、被害者の保護者が提出した被害届を警察が事前に受理しなかったという点であって、これがいかなる判断によるものなのか、どのような法理によるものなのか、滋賀県警は明らかにするべきだと思う。いじめの内容が報道されているが、そのどれをとっても刑事上の犯罪に相当するのは明らかであって、学校が舞台であること、つまり被害者が未成年であることによって被害届が不受理になるとすれば、これは明らかに法の下の平等に反し、警察が引き起こした組織犯罪というべきだ。
私はこれについては中央政府の介入が必要なのではないかと思う。ただの事件ではない。統治案件に属する内容だと思うからである。
野田首相は、教育委員会、学校の不作為を検証、検討するために文部科学省内に検証チームを設置すると同時に、警察庁法務省に指示をして滋賀県警の「運用」の実態を明らかにするべきだろう。
未成年の少年が長期に及んで物理的暴力に晒されながら、公的機関が何ら救済措置を行わなかったという事実に対して、政府は調査と報告を行い、改善を促すべきだ。ことは統治の正統性に関わる問題である。
私はこの件に関して、加害容疑者のプライヴァシーを不特定多数が暴く、等の行為を積極的に肯定はしないが、やむを得ないものと見なしている。この見解はおそらく「良心的な」はてなーの方々とは異なるものだろうから、敢えて言明しておく意味があると思う。
このいじめの事件が被害者にとって法の支配を揺るがせるものであったことは疑うべくもなく、警察・学校・教育委員会という機関の支配によって生存すら脅かされる時に、法の支配から民衆が抵抗権を持つのは自明のことだ。ここであくまで手続き的な法治主義に拘泥するのであれば、デモンストレーションは基本的に否定されるべきであろうし、アラブの春天安門事件のようなものは正当化される余地はない。私には基本的にはリベラルでありながら、はてなーの一部が時にみせるこうした無邪気な権威主義をどうにも信用できない。
逆に言えば政府は法治主義の正統性を擁護するためには、法の支配に照らし合わせて明らかに不備があったこのような事件に対して、鋭敏な感覚を保持すべきであって、これが統治案件であるという意味はそこにある。
政府によって法の支配が保持できないならば民衆の私刑を批判する余地はないからである。