Jap と呼ばれて不快になるなよ

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/07/post-c031.html
日本人をJapと呼ぶことはよくあるわけです。九割方は、悪意はないのですが、悪意はないとしても、Japという語は、ネガティヴなイメージが強い語ではあるわけです。悪意がある場面ではほぼ例外なく使用されるわけで、悪意は無くても敬意はない語です。ホモ、という語はそれに近いのではないかと思います。
中立性が高い新聞記事や論文で、同性愛者に言及する時に、ホモ、という語はまず用いないですよね。逆に言えば、ホモという語が使用される場面は、同性愛者に対して、揶揄的である場合、排斥的である場合がほとんどで、サイゾーの記事でも揶揄の意図をそこに読みとるのはさほど無茶なことではないでしょう。
山本一郎さんほどの人が、テキストに敢えてすわりの悪い言葉を紛れさせて、言外のニュアンスを与えるレトリックに気づかないはずがないと思います。
Japの話に戻せば、これを単純にJapaneseの省略形として用いている人はいます。特に、非ネイティヴの人であれば、本当にこれに差別的なニュアンスがあることを知らない人がかなりいます。あるブラジル人が日本に言及していたテキストで、Japを用いていたので、メールで、それ差別語ですよと教えたらライターがショックを受けたことがありました。相当長いテキストで、いや、悪意がなかったのは読めば分かるから、書き直さなくても次から気を付ければいいじゃないですか、と言っても、それでは自分の気が済まない、本当に申し訳なかったと言って書きなおされました。
一方で、日本語を勉強しているアメリカの高校生は、日本語の省略形でJapって普通に使ってるよ、うちの高校ではみんなそう言っていると教えてくれたこともありました。そう言えば僕が通っていた大学でも、中国語のことをチャンゴと呼んでいたわ、と思い出しました。僕は第二外国語はフランス語だったので、中国語はとっていなかったのですが、中国をとっていた人たちは通ぶってことさらチャンゴ、チャンゴと言っておりました。
そういうのを悪意がないというなら確かに悪意はないのでしょう。
そういう人たちが、Japと呼ぶのは不愉快だから止めて、チャンと呼ぶのは不愉快だから止めてと言われると、ことさら自分のテリトリーを侵されたような、非難する人たちが不当であるかのような、過剰防衛的な反応をみせます。山本一郎さんの反応はそれにごく似ています。
ニュートラルでフォーマルな場面、あるいは敬意がある場面ではJapやチャン、あるいはホモという語の使用例は全くと言ってなく、その逆の例は無数にあるのに、Japやチャン、ホモという語が何ら悪意がない、ニュートラルな語のように言うのは、無知か鈍感かサディストか、あるいはそのすべてであるとしか言いようがありません。
Japの話で言えば、この語を正当化しようとする英語圏者の人は無数にいます。僕はいちいちそういう人たちと議論をした経験が何度もあるのですが、ある人が挙げた例では、フランクリン・ルーズヴェルトもこの語を用いていたので、差別語ではない、というものがありました。
僕もルーズヴェルトの演説などをすべて読んだわけではないのですが、彼がJapを目立って用いるようになったのは開戦後のことであって、それ以前は、真珠湾攻撃に際しての議会での開戦演説でも Japanese Empire と言っています。ルーズヴェルトの例はまさしく、Japという語が悪意と攻撃性を帯びていることの証左です。
Japと無邪気に言われても、その無邪気さゆえに不快感や違和感を覚えても、日本人の大半はあたかもそれが無かったかのようにスルーしてしまうでしょう。それは寛容な態度では決してありません。怠惰なだけです。まして他人がその種の寛大さを強制すべきではありません。ホモをホモと言って何が悪いと居直るのは、相手に寛容を強いる、暴力そのものです。