サマーウォーズとジェンダー論

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作者が描いてもいないジェンダー論を論じるなんて云々みたいな意見があるけれど、ずいぶん的外れな意見だなと思う。だって描いているじゃん。おさんどんの後、片づけに立ち上がるのが女だけの場面や、女だけが台所に集まっている場面。
映画を観た上で、ジェンダー論的な意見が出てくるのはごく当然の話であって、単純に大家族ってすばらしい的なファンタジーにするならば、「地雷」を避けてそういう場面を描かなければいい話だ。80年代のトレンディドラマで主人公のOLたちが住む広々としたマンションの家賃の話は決して語られないように。
僕の父は次男で、母は長女だけども下に弟がいて、自分が育った家自体は核家族だったけれど、「田舎の本家」とかに行けば、まさしくサマーウォーズ的な大家族であって、あそこで描かれている姿はおおむねリアルではある(登場人物がおおむね物分りがいいという点を除けば。実際はあの警官のお兄ちゃんのように保守的で思い込みが激しい困ったチャンが多数派だ)。だから細田監督は、まあおおむねありそうな大家族の夏の帰省時の風景をそのまま切り取った「だけ」だと言うのはおそらく正しいだろう。
正しいだろうがそれでジェンダー論的に免責されるわけではない。
たとえば田舎の学校で、のどかな学級というイメージがあってそれに基づいて、わりあいリアルな田舎の学級風景を描くとして、実際には田舎でもよくあるいじめの風景とかをそこで描いてしまえば、「のどかな学級」という全体のイメージは壊れてしまう。敢えてそのイメージを打ち出すならば、本筋とは関係のないトゲを抜いておくべきなのだが、サマーウォーズではトゲを抜いておかなかったのである。
なぜならば、おそらく細田監督はそれをトゲだと認知できていないから。
その認知における無意識過剰が問題であるし、それは批判されるべきなのだ。
学級におけるいじめを描いておきながら、のどかな子供たちみたいな文脈で処理しようとするのは、いじめに対する感度がごく鈍い、鈍感さから加害者になってしまっていると評されても仕方がない。
サマーウォーズが全体として大家族っていいね、おもしろいね、というポジティヴなニュアンスを打ち出そう、そう処理しようとしているならば、おさんどんの場面は決して描かれてはならないのであるが、むしろそれに異様に固執して描いているように見える。ほとんど言外の批評、皮肉のニュアンスを感じるほどだ。
例えばテレビアニメで、スポンサーの意向第一で処理をしなければならない時に、「弱者としての監督」がこうした裏メッセージを潜り込ませることはあるが、劇場用のオリジナル作品で、そうしなければならない必然をまったく想定できない以上、単に細田監督の鈍感さばかりが目につく。
いい大人がいったい何を見ているんだろうかと疑問に思う。