反原発と笑いと

90年代の初め頃に盛り上がった反原発運動はあれはいったい何が要因になっていたんだろう。
81年にレーガンが登場して、ゴルバチョフが85年に登場するまで、米ソは激しい軍拡競争を繰り広げ、70年代デタントの雰囲気は完全に失われていた。米ソ冷戦が米ソ熱戦に変わる可能性は強まっていて、核戦争の危機に警鐘を鳴らす映画も作られていた。86年にはチェルノブイリ原発事故も起きるのだが。
90年代初頭とはいずれも時代が少しずれている。むしろ80年代半ばに起因したムーヴメントが一時的な危機感を越えて、社会化した結果なのかと推測もするが、90年代半ばを過ぎてからは反原発運動は退潮傾向にあって、社会的にビルトインが完了していたとはとても思えないので、やはり一過性のムーヴメントであったように見える。
あれらが活動していた時は僕は文字通り子供だったので、原発のような専門的な話について、自分の意見があるはずがなかったのだが、原発を停めて社会が回るのか、経済が回るのかとは考えていた。代替エネルギーの話はいつもどうもふわふわしていて、そうは言っても電気がないと困るよね、と思っていた。
シラケ世代というか、その世代も2週目に入ってくれば社会や国家という大きな話をするのは胡散臭いという僕たちの感覚も徹底していて、電力会社が手を汚すまでもなく、運動家や活動家たちは、一般社会の方から無条件に分断されてしまう、そういう空気があった。僕もその中の一員だった。
それが結局は福島原発事故につながった、と今は思っている。当時がそうだったように、今になったからと言って、原発は廃止すればいいと目覚めたわけではなく、どうしようもやもや、というのには変わりはないが、原発事故の遠因に自分も含めた、ビーダーマイヤー的な感覚が大きな問題を取り扱う際に機能しなかったゆえんだとは思っている。僕も加害者の一人だ。
ラジオで高橋源一郎が、原発に賛成か反対か、どちらかを選ぶことを強いられる空気のようなものは怖いというようなことを言っていた。その感覚は分かるのだが、選ばないことでも結局はいつか清算を迫られるのだなとも思っている。
何かそういう大きな問題、日常生活とは直接リンクしなさすぎて、右と左か、まあとにかく何かと何かがやりあっていて、どちらもそれなりに理屈があるような問題で、ふと対象から距離を置いて笑いにしてしまう、その余裕のようなものが必要と言うのはビーダーマイヤー的な知恵かもしれない。そうかもしれないとは思うのだが、結局その智絵によって90年代の反原発運動を「笑い者」に小市民サイドはしてきたという、そういう側面もあるんじゃないか。
そしてそれがやはり福島第一原発へと至るルートのひとつであったのだと。
多くの人、自分も含めてたぶん7割前後以上が、とりあえず自分の生活があって、自分の家族がいて、家族の問題があって、でもまあおおむね幸福と言えば幸福かも知れなくて、そういうところから山本太郎さんみたいな人が突出して、預言者エゼキエルみたいに振る舞っているのを見れば、だってメロリンキューじゃんとを言ってみたくなる感覚は庶民の健全さかも知れないし底意地の悪さかも知れない。
でもそのビーダーマイヤー的な平穏さが、時にフクシマへと至るのだと考えれば、誰であれこの世界で無垢でいられるとすれば、無垢である人が一番汚れている人なのではないかと思う。