アンチフェミニスト?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/13930/1349957276/
ここ、読みましたけど、相も変らぬラべリングというか、テキストも示していない人が議論になっていないと主張する荒唐無稽さというか、僕は右翼左翼以前にそういう手法自体が嫌いなんだなと思いました。
こういう iteau 叩き(?)みたいな文章ははてな匿名ダイアリーのは読んだことはあるけれど、こちらは読んでいなかった。それを読んで僕が思ったのは、
1.iteauが書き込んでいたとして何か不都合があるのか(それが論旨に何か影響を与えるのか)
2.iteauがiteauを名乗る以外の者でもあるとしてそれが何か不都合があるのか(それが論旨に影響を与えるのか)
ということです。書き込んでいないとか、その人は私ではありませんと返答するのは簡単だけれども、書き込んでいたとしても、別の人が私だとしても、それはなんら批判されるようなことではないので、返答すること自体不適当だと思う。
そういうことを言いたがる方はもっと不適当なんだけどね。
とにかくそうやって口を封じたい、ここで書かれた意見にネガティヴな印象を装わせたいってことなんだろうから。
はてなサヨクというか、はてなに居住する左翼ではなくて、論旨を離れてギャング的な手法を用いる、肯定する人たちを僕ははてなサヨクだと認識しているけれど、「男はケモノではありません」シリーズにつけられたブックマークコメントにいちいち実証を求めて、出来た人はただの一人もいなかった、ということが彼らのリーガルマインドがどの辺にあるのか、うかがい知れますよね、という感想を、その匿名掲示板の iteau 批判(?)、というか言いがかりのレベルだけども、それについてもそう思いました、というしかありません。
そういう議論の本筋を捻じ曲げて捻じ曲げて、党争モードに相手が入った時は僕はいつもそこで議論を打ち切りにしてきました。それ以上やっても無駄だから。論点が次から次にはぐらかされて移動していって消耗させられるだけだから。
先日の記事に対してApemanさんは「あいかわらず頭が悪い」とコメントしていますが、僕はApemanさんについてはそこまで頭が悪いわけではないと思っています。わからないはずがないと。それでいて、そういう態度をとるのは能力の問題ではなくて、もっと暗澹たる問題であろうなと思っています。


さて、フェミニズムの話について。そもそも僕はフェミニストだからと言ってみんながみんな意見が一致しているとは思ってないのね。
たとえば、ホームレスが図書館を寝床として利用している問題について、臭いとか、女性が怖くて利用できないとか、そういう方向の批判があった時に、 田嶋陽子は「臭いがどうしたとかとかで市民を公共施設から追い出そうということ自体が差別なんだから、そんなことは認められませんわ」と言っていたけれども、それについては僕は田嶋先生にまったくもって同意なんだけど、同じ現象に対して、男性よりも女性がより強く恐怖を感じる、そしてそのことに単に根性論では済まされないある程度の経験則的な理由がある場合、フェミニスト的な視点から、この場合はホームレス排除を合理化する態度も生じ得るのではないかと思ったのね。
エリザベス1世カトリック信仰について、同時にふたりの君主に仕えることが論理的に可能かという言い方で疑義を呈したけれども、人権尊重の立場と、女権尊重の立場は、別にこのふたつだけの話ではないけれども究極的には相いれないわけです。
だからどこかで折り合いをつけるしかない。
折り合いをつける時に、僕は人権の方をより有意に重視するので、それを反フェミニズムと言えば反フェミニズムではあるのでしょう。同時に、その場合、女権の方を重視するなら反人権ですよ。
現実の歴史として、左翼であれ右翼であれ大義を掲げて人命を奪うようなことは過去に何度も起きてきたわけです。今後もありえないわけではない。国家社会の枠内において人権を最重視するなら、価値判断の基準は人権そのものでなければならないわけです。
「男はケモノではありません」を書いた時に、アウシュヴィッツの看守がどうしたと的外れなことを書いてきた人がいますが、アウシュヴィッツの看守は人権そのもの以外のものを重視したから人権が抑圧されたのであって、人権そのもの以外のものに軸足を置くならば、たとえそれが「女性の権利」や「児童の福祉」という近縁的な価値判断であっても、それは人権そのものではないので、アウシュヴィッツの看守が看過したのと同じことが発生し得るのだと僕は考えています。
僕がhokusyuさんを批判したのは、そのマインドというか、危うさに気づかない鈍感さに対してなのですが、曽野綾子のそもそもの論があんまりなので、曽野を批判しているhokusyu氏を批判するiteauは曽野に加担しているのではないか、みたいな、表面上の党派的な力学、に貶められたというか、そうしたがる人が現実に多数存在している危うさ、まさに僕の懸念がただの老婆心ではないゆえんですが、iteauに対する没論理的な反応というのも、十分に予想できるものでした。
「女性の権利」や「児童の福祉」が人権の擁護と言う文脈と矛盾なく一致しているときには僕は徹底してフェミニストであると思います。そうじゃない時にはそうじゃない。
バックラッシュ!」という本を読んだのですが、先に上げたホームレスの話もそうだし、痴漢冤罪の話もそうだし、児童ポルノの話もそうなんですが、女性の権利や児童の福祉が人権そのものとぶつかる際にどうやって解消しようとしているのか、なかなかそういう話にはならないですね。
自信を無くした弱い男性が追いつめられて牙をむくみたいな、そもそもまったく証明性のない、内心の憶測をえんえんとするばかりで、そういうのってオナニー以上の意味があるのかしらと非常に疑問があります。
そもそも自信を無くした弱い男性が言っていることにある程度の実態があるならそれは弱者の側からの問題提起であるし、それにいったい何の問題があるのかと不思議に思いますわ。