体罰とスポーツと

告発の真相:女子柔道暴力問題 山口香・JOC理事に聞く - 毎日jp
園田隆二・前柔道全日本女子代表監督による体罰問題の告発は、従来見られれていたように選手主導の告発を山口香氏がサポートする形ではなく、山口氏がむしろ主導する形であったのが氏へのインタビューで明らかになった。
私は山口氏の行動を支持するが、あるいは非常に意地悪な言い方をすれば、山口氏は常々、柔道界における体罰の問題と女子選手の地位の低さを問題視していて、それを覆すためにマスコミ・世論を巻き込んで全日本柔道連盟に対して体制内クーデターを仕掛けたのだと言えなくもない。と言うか、全日本柔道連盟の幹部たちは間違いなく、この一連の動きをクーデターとして見ているはずである。
さらに一歩進んで、マキアヴェリ的な見方をすれば、山口氏に体罰云々への関心は実はなく、自身の権力強化のために動いているのだと解釈することも可能であり、現幹部はおそらくそういう見方をしているだろう。無論、そこのところは山口氏個人の内面の話であるから何を想像したとしても証明性は無い。こういう構造になった以上、体罰問題で認識が甘い指導者や幹部を更迭する、そして女子選手を組織運営において関与させることはそのまま山口氏個人の権力確保につながるのは確かだが、そういう構造になってしまったことは山口氏の責任ではない。
仮に、山口氏に対して侮蔑的とも言えるほどの悪意で、「山口氏は自分の権力確保のために動いているだけ」と断じるとしても、そのために体罰問題が利用されるほどに体罰問題が放置されてきたのは、これまでの指導者や柔道界幹部の怠慢のせいであるし、問題意識がないと言うこと自体、組織運営者としては糾弾されるべきである。
私が思うに、山口氏ですら組織としての全日本柔道連盟の存続と権益を擁護したところから行動していると考えるのは、これが体罰問題としてくくられている、山口氏ですら積極的にそういう問題として提示しようとしているからである。
百歩譲って、教育と体罰にある程度の不可分さをぎりぎり認めるのだとしても、義務教育も終えて、大半は成人もしているような選手たちに対して、子供に含めるような体罰なるものはどう考えても適用できないし、本来は刑事罰として処理されるべき事案なのである。そういうものとして提示していないことには、むろん山口氏や選手たちの温情がある。彼女たち自身、世間から見れば柔道界のインナーサークルにあって、そのインナーサークル性を破壊することを望んでいないからこそ、刑事告発を見送っているのである。
それを温情と言えば温情であるが、確かにどこまで踏み込むか、手綱を引いているかのような意図的なマキアヴェリ性がそこにないわけではない。
私が体罰を完全に否定しないのは、絶対に許してはならない行為が存在するからである。それは弱い者いじめであったり、卑怯な振る舞いであったり、私益のために嘘をつくことであったり、生命の危険に直結するようなことである。理非が分からない子供に対しては、場合によってはこちらも命を懸けても、体罰でもってしてでも諭さなければならないことがある、私はそう思っている。
しかしそのような機会は本来、ごく稀なはずだ。要はその覚悟をもっておくことが大事であって、その覚悟があれば抜き身をちらつかせる必要はないはずだ。まして、義務教育も終えた年齢ならばどのような性格であってもそれはその人個人の性格なのであって、そこに干渉する必要は全くない。そこから先は法の話である。
スポーツの現場においては、別にそこに全人格的な問題が発生するわけではない以上、体罰なるものが発生する余地は全くない。発生するとすればそれはただの傷害であって、特に選手が高校も卒業しているようならば刑事犯罪として処理しない方がおかしい。


体罰を巡る議論を見ていて非常におかしいと感じるのは、体罰の効用についての議論にウェイトが割かれていることである。元投手の桑田真澄氏が体罰に効果なし論を唱えたかと思えば、いや、でも「東洋の魔女」で松平監督の体罰は実際に成果を上げたよねみたいな話もあって、むしろ「体罰論」の主要をなしている。
まるでスポーツ界そのものが日本国憲法の施行下にない、異世界のようだ。
体罰に効果があろうがなかろうが、体罰そのものは傷害なのである。仮に体罰に効果があったとしても、それによって一部の選手がむしろ「感謝」をしたとしても、100人いて100人全員が1億人にて1億人全員が「強くするためにどんどん殴ってください」というスタンスでないならば、それは傷害なのである。
このスタンスから言えば山口氏の態度ですら生ぬるい。彼女の立場はあくまで全日本柔道連盟内の改革者であって、サヴォナローラがいかにヴァチカンの腐敗を叫んだとしても、カトリックそのものによる圧政による批判にまでは手が及ばないのである。